それでも僕らは夢を描く
風鈴みたいに涼しげな声。少年とも少女ともとれる中性的な声だ。
 私はびっくりしてすぐに周囲を見渡した。
 けれど人の姿は見えない。
 聞き間違い……? それにしてははっきり聞こえたような。

「ここだよ、ここ」

 そんな声とともに何かが私の太ももに触れた。
 ちらっと視線を下にやると、真っ白な猫が小さな前脚を私の脚に乗せていた。
 透き通るようなスカイブルーの瞳に、毛玉ひとつない整えられた毛並み。びっくりするほどの美人さんだ。

「……猫ちゃんだ」

「うん、違うよ」

 猫ちゃんはちょっと不満そうにふんっと鼻を鳴らした。
 何が違うんだろう?
 どこからどう見ても猫だけど。

「猫じゃないの?」

「猫じゃないよ」

「猫だよね?」

「違うよ」

 二度か三度くらい、そんな無駄なやり取りをしたと思う。
 見た目は完全に猫だけど、本人が違うと言うのなら違うんだろう。よく考えたら猫が喋れるはずもないし。
 得体の知れなさはあるけれど、話ができるのならこの際なんでもいい。
 それよりも、猫じゃないと言うのなら何なのかが気になる。

「じゃああなたは――――」

「だから猫じゃねぇつってんだろ!」

 猫ちゃんは声を荒げて私の脚を引っ掻いてきた。すごく痛い。
 違うのに! 猫だよねって言おうとしたわけじゃないのに!

「ひどい……跡が残ったらどうするの!」

「うるさい! 猫じゃない!」

 猫ちゃんは牙をむきだしてこちらを威嚇している。
 でもいまひとつ怖くないというか、見た目が可愛いから余計愛らしく見えるような……。
 とりあえず謝っておこう。

「ごめんね」

「うんいいよ。こっちこそ引っ掻いてごめんね? 大丈夫?」

 うわ、なんという変わり身の速さ。
 怒ったり心配してくれたり、ころころ態度が変わるところはまるで猫みたいだ。本人は違うと言っているけれど、段々わからなくなってきた。
 ともあれ、機嫌を直してくれたみたいでなによりだ。

「ところであなたは誰なの?」

 さっきは言う前に引っ掻かれちゃったけど、今度はちゃんと訊けた。
 猫ちゃんは自慢げに鼻を鳴らし、透き通るような水色の瞳でこちらを見つめてきた。どことなく勝ち誇ったような表情がとても愛らしい。

「ボクは神様!」

「えっ凄い!」

「――――の、使いだよ」

「あぁ、うん……」

 なーんだ、つまんないの。
 …………ってあれ? 普通に凄くない?
 もしかしたら私をもとの体に戻してくれるかも。

「神様の使いってどんなことするの?」

「神様のお使いだよ」

「お使いの内容は?」

「神様のお手伝いとかだね」

「そっか……凄いねー……」

 うんうん、凄い凄い。尊敬しちゃう。それで、神様のお使いって何?
 全然話が見えてこないよ!
 この子はあれだ、ちょっと失礼かもしれないけど、ぽんこつだ。
 具体的に質問しなきゃまともな答えは得られそうにない。

「例えばだけど、私をもとの体に戻したりもできるの?」

 私の問いかけを聞いて、猫ちゃんは目を見開いた。
 そして思い出したように言う。

「あ! そういえばそれが目的で君に話しかけたんだった」

「忘れてたんだ……」

 うん、やっぱりこの子はぽんこつだ。
 とはいえ、体に戻してくれるというのなら凄くありがたい。

「戻してくれるの?」

「うん。でもひとつ条件があるんだよね」

 私はオウム返しのように「条件?」と返し、首を傾げた。
 猫ちゃんは困ったような面倒くさそうな表情で鼻を鳴らし、言葉を続ける。

「そう、条件。君は今困ってるね?」

「うん」

「まだ若いのに大変だねぇ」

「いいから続けて」

「ごめんなさい説明します。条件っていうのはね、人助けをすることだよ」

 人助け。それを聞いて何となくピンときた。
 多分、助かりたかったら自分も人を助けろみたいなことだろう。
 けれど、こんな状態で人助けができるとはとても考えられない。
 私は猫ちゃん以外の誰にも見えないし、声も聞こえない。
 ついでに言えば誰かに触れることさえできない。
 椅子や机といった静止した物体には触れられるのだけど、それでも動かすことはできない。何なら石ころひとつ持ち上げられないと思う。
 できると言えば精々、物に座る程度だ。
 しかも、制止している物体に触れられると言っても、その物体が少しでも動いた途端にすり抜けてしまう。
 実際、ここに走ってくるまでの間に何度か車をすり抜けたりもした。もし動体にも触れられるのなら、今頃五体満足でここには居ないはず。
 要するに、今の私はただの幽霊だ。
 生きているか死んでいるか、たったそれだけの違いしかない。
 そんな私が果たして人助けなんてできるだろうか。
 疑問に思うと同時に、それを口にする。

「助ける対象にだけ君の姿が見えるようにすればいいんだよ。それくらいはボクの力で何とかなるし」

 猫ちゃんの答えは非常にシンプルだった。
 どうやら最低限の支援はしてくれるらしい。
 しかしそれはそれで問題があるような……。

「幽霊だ! って驚かれない?」

「いやー、ごめんね。そこは何ていうか、こっちの管轄外だからさ……上手く誤魔化してね」

 うわっ、丸投げしやがった!
 この猫ちゃんちょっと適当すぎじゃないかな。

「ほら、夜道に幽霊が現れた! とかって心霊現象よくあるよね。あれも君みたいな子がやっているんだよ。驚かせて違う道を通らせることで、その先で起こるはずだった事故を回避させてるの」

「な、なるほど……」

 幽霊騒ぎでも何でもいいから、とにかく悲劇を回避させてあげればいいらしい。
 ちょっと面白そうかも。

「わかった、人助けしてみるよ! それで、私は何をすればいいの?」

「んー、そうだね……」

「あ、具体的にね」

 念のため、釘をさす。
 この子なら今の問に「人助けをすればいいんだよ」と答えかねない。
 さっきも同じようなやり取りがあったし。

「人助け」

 ほらきた!
 やっぱりこの子はぽんこつだ。

「……って言うと思ったでしょ」

「……ごめんなさい」

 バレてた。
 不満そうに鼻を鳴らし、猫ちゃんは黙り込んだ。
 今回ばかりは本当に具体的な人助けの方法を考えてくれているらしい。
 ぽんこつ呼ばわりしたのが少しだけ申し訳なくなってくる。

「ねぇ、不登校児って知ってる?」

 蝉の寿命が来ちゃうんじゃないかってくらい長考した後、猫ちゃんはそんなことを尋ねてきた。
 突然そんなことを言うのだから、思わず目を丸めてしまう。
 若干動揺しつつも、私は首を縦に振る。

「よし、ならその不登校児を救ってあげて! どの子を救うかはこっちで決めるから!」

「不登校……」

 その言葉を聞くと、ちくりと胸が痛む。
 私が中学生の頃、突然学校に来なくなった子がいた。
 その子の名前は九条彩月。
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