発つ者記憶に残らず【完】


高校3年生になり本格的に受験モードに突入した夏休み明けのエアコンで冷えた教室。久しぶりー、と明るい声がガヤガヤとあちらこちらで響いていた。

キーンコーンカーンコーン…。

チャイムが鳴り一斉に席に着くと、朝のホームルームが始まって教卓の向こうにいる担任の先生が言った。


「夏休みは昨日で終わりだ。今日からまた学校が始まり受験勉強と学校の勉強を両立させるのはたいへんだと思うが気を引き締めて頑張れよー」


40代後半の高槻先生はそう言うと名簿を開いた。間延びした声とけだるそうな態度は相変わらずだ。


「じゃあ出欠取るぞー。相川ー」

「はい」

「相沢ー」

「はーい」


予備校に通いつめていた夏休みが終わり、こうしてみんなと同じ空間にいるというのがなんだか変な気分だった。やれ模試だの、やれ過去問だの。いつも何かに追われているような感覚がしていたのにここにまた同じ人が集まっている。

みんなどれぐらい勉強していたの?夏祭りとかは行った?旅行はした?

何かから逃げていたはずなのにのこのことこんなところにいるなんてどんな神経しているの?


「松村ー」

「…」

「松村?」


ぼーっとしていて名前を呼ばれたことに気づかなかったらしい。一斉に私を見るみんなの視線に気づいてハッとした。


「あ、はい…」

「村上ー」

「あーい」


先生はそんな私を真顔で一瞥しただけで何事もなかったかのようにまた出欠を再開した。

ああ、いけない。軽く意識が旅に出ていた。


「おい、ぼーっとしてんなよ」


ホームルームが終わり1時間目の授業が始まるまでの間に後ろにいた男子が声をかけてきた。


「…津田沼」


足を椅子の右側に向かせ振り向くと頬杖をついた歪んだ顔で私を見ている彼がいた。呆れたように彼の名前を言うとその眉間にしわが寄った。


「ひでえ顔だな」

「それはこっちの台詞」

「ちゃんと寝てんのか?」

「大きなお世話よ」


ふん、と鼻を鳴らして体を前に向かせた

…あー、なんでこんな態度取っちゃうんだろ。

私の後ろにいた男子は津田沼慎二(つだぬましんじ)。今までずっと同じクラスだったということもありこうして話すようになったものの、私がコミュ障なばかりに素っ気ない態度を取ってしまう。

さっき酷い顔だと言われていたのは私の目の下にあるクマのせいだろう。名前はチャーミングなのに全然そんなことはなく、命名したのは一体誰なのか、といつも思う。

私はいつも貧血気味で、手足も冷えやすく代謝が悪いのか太りやすい。さらに中学時代にソフトテニスをやっていたせいか、足についた筋肉は年々脂肪になってきていて摘まむとだらしない感触で本当に嫌になる。

そんな自分にイライラしていると1時間目が始まった。

これからの2学期。私は公募推薦で受かれるように小論文や面接の練習もしなければならない。




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