ハイド・アンド・シーク
その時、オフィスの電話が鳴る。
私のデスクにある電話も鳴っていたので外線であることがすぐに分かった。隣で茜が取る素振りを見せたものの、私の方が先に取ってしまった。
「鳥谷部コーポレーションでございます」
いつもよりワントーン声を上げて出る。
声はなるべく明るくて高い方が相手に好感を持ってもらえる、という新入社員の頃に教育係の先輩に教えてもらったことを忠実に守っていた。
電話の相手は設計事務所の人だった。
『お忙しいところ申し訳ないのですが、有沢さんはいらっしゃいますか?』
相手にそう言われ、瞬間、私の胸がドキンと鳴った。
鼓動が、体の芯から手足、そして頭にも響く。
名前を言われただけでこれって、私って重症だ。
「少々お待ちいただけますか?」
『はい』
保留ボタンを押して、いったん心を落ち着かせた。
まだドキドキは続いていたけれど、いつまでもお客様をお待たせするわけにはいかない。
ひと呼吸置いたあと、すぐに内線ボタンをいくつか押した。
視線を、彼のデスクへ送る。
コール一回であっさり彼が電話に出た。
『はい、有沢です』
「有沢主任、お疲れ様です。事務の森村です」
宙を泳いでいた彼の視線が、私に向けられる。自分でも感じるくらい顔が熱くなった。
遠目で見ても分かるほど、彼は優しく微笑んでくれていた。
─────あぁ、ヤバい。かっこいい。
心の声がうっかり漏れないように細心の注意を払いながら、上ずる声を抑えられないまま電話口に告げる。
「多田建築設計事務所の柏木様からお電話です。お繋ぎしてもよろしいですか?」
『うん、お願いします。ありがとう』
回線接続のボタンを押して、私と彼との電話はそこで途切れた。
何も聞こえなくなった私の電話。代わりに彼はもう私からは視線を外して、相手の言葉に耳を傾けていた。
受話器を置いて、耳元に聞こえた彼の声の余韻に浸る。
落ち着いた、優しくて低い声。
今日はなんていい日だろう。
口元が緩むのをなんとか我慢した。
彼から見たら、私なんてそのへんにいる社員の一人に過ぎない。
でも私にとっては、彼は特別だった。
声が聞けるだけでこんなに幸せをくれる、愛しい存在。
すっかり恋する乙女モードになってしまった。