光のもとでⅡ+

Side 司 12話

 翌朝、目が覚めた俺はサイドテーブルのスマホに手を伸ばす。
 ディスプレイを表示させると六時を回ったところだった。
 身体を起こし隣を見ると、何を纏うことなく寝息を立てる翠がいた。
 昨夜は無理させてしまったが、大丈夫だっただろうか。
 バイタルを見る限り問題はなさそうだが……。
 こういう関係になってから、一回につき一度しか求めてこなかった。けど昨夜は――
 素直に反応する翠がかわいすぎて、さらにはあとのことを考えなくていい状況に箍が外れて二度目を求めてしまった。
 拒絶されるかとだめもとでのお願いだったが、翠が「否」と唱えることはなく、翠の身体を気遣いながらではあったが、二度目の絶頂を迎えた。
 欲を言えば三度でも四度でも求めたい気持ちはあったが、さすがにそこまでは翠の身体がもたない。でも、二度目を受け入れてもらえたことが嬉しかったし、翠を抱いたまま眠りについた俺は、思っていたよりも熟睡できたらしく、四時間ちょっとしか寝ていないにも関わらず、身体も頭もすっきりとしている。
「翠はまだ当分起きないだろうな……」
 あどけない寝顔にキスをして、俺はベッドを抜け出た。
 ざっとシャワーを浴び、バスタブを洗って出てくると、服に着替えてウッドデッキへ向かう。と、桟橋には稲荷さんの姿があった。
「司様、おはようございます」
「おはようございます」
「朝早くに申し訳ないのですが、ボートの点検だけさせてください」
「いえ、お願いします」
 俺は屋内へ戻り、キッチンでコーヒーを淹れるとスマホでニュースをチェックしながら二十分ほどかけてコーヒーを飲んだ。
 その三十分で点検が終わったのか、稲荷さんがひょっこりと顔を出す。
「司様の分だけでも、朝食に何かお持ちしましょうか?」
「いや、あとで電話するので、そのとき翠の分と一緒に持ってきてください」
「かしこまりました」
 俺は誰もいなくなったウッドデッキへ出て軽くストレッチをすると射法八節を繰り返す。
 そうして気分が一新したところで翠のもとへ戻ることにした。
 時刻は七時半。まだ翠が起きることはないだろう。
 そんな翠の隣に横になり、愛しい人を自分のもとへと引き寄せる。
 腹部に触れていた手が、引き寄せた拍子に胸に当たった。
 マシュマロのような柔らかな感触に魔が差し、優しく胸に触れる。と、翠が甘やかな声を発した。
 やばい……いたずら心に火が点きそう――
 でも、昨夜の今朝だ。もう少しゆっくり寝かせてやらないと、今日という一日を寝不足で過ごさせる羽目になる。それはどう考えても得策じゃない。
 俺は自分に我慢を強いながら、愛しい寝顔を見つめ続けた。
 額際の髪を梳けば猫のように擦り寄ってくる。その反応がかわいくて、ずっと髪や頭を撫で続けていた。しかも、ものすごく幸せそうな表情で寝ているから、何かいい夢でも見てるのかと想像する。
 そうこうして八時半を回ったころ、翠のバイタルに変化が見られた。
「そろそろ起きるか……」
 それなら、ハーブティーを淹れて待っていよう。
 俺は後ろ髪引かれる思いで翠から離れ、キッチンへ向かった。

 昨夜秋兄から渡された缶を開けると、言われたとおりにカモミールティーとミントティーの二種が入っていた。
「朝ならミントだな……」
 沸かした熱湯で三分蒸らし、ティーパックを引き上げる。
 カップを鼻の近くに持って行くと、ミントのいい香りがした。
 香りは上々。味にえぐみは出ていないだろうか。
 普段淹れ慣れないものへの不安に一口飲んでみると、翠が淹れてくれるものとそう変わらない味がした。
 ただ、寝起きに飲むには少し熱い。
 バスタブにお湯を張るか……。
 昨夜、行為のあとにシャワーを浴びることなく寝た翠は、洋服に着替える前に風呂へ入りたいはずだ。
 バスタブはさっき洗ったから、お湯張りボタンを押したら入浴剤を入れた状態で翠を起こしに行けばいい。
 しかし、入浴剤の入ったカゴを物色すれど物色すれど、目的のものが見つからない。
 入浴剤のどれもがお湯の色が乳白色的なアレで唸りたくなる。
「ひとつくらいお湯がクリアな入浴剤があってもいいものを……」
 ないものに文句を言っても仕方がない。
 ミントの入浴剤をバスタブに放り込んでキッチンへ戻ると、ミントティーが程よく冷めていた。
 カップ片手に寝室へ向かうと、翠が横になったまま左手で目をこすっていた。
「起きた?」
 翠はこちらを振り返り、俺の姿を視界に認める。
 昨夜の今日で身体は大丈夫だろうか。
 そんな不安を覚えつつ、
「起きられそう?」
「ん……」
 翠はゆっくりと身体を起こし、何かに驚いたように声をあげた。
 どうやら自分の格好に驚いたらしく、翠はすぐに布団を引き寄せる。
 っていうか、昨日散々抱き合ったのだから、今さらそんなに慌てなくても……。
 でも、そんな翠は平常運転といったところだろう。
 気づけば笑い声が漏れていた。
 翠の近くに腰を下ろし、「おはよう」と言いながらキスをする。
 なんだか、ものすごく幸せな朝だ。
 持っていたカップを翠の口元に近づけると、翠は香りを確認してからカップに口をつける。
「おいしい……」
「ゆっくり飲めばいい」
「ん……」
 翠は三口飲んで、
「今何時?」
「九時前」
 七時間寝れば不整脈が頻発することはないだろう。
 そんなことを考えていると、翠は呆けた表情で、
「もう、九時なのね……」
 そう言うと、窓の方を向いて眩しそうに目を細めた。
「ツカサは何時に起きたの?」
「目が覚めたのは六時過ぎ」
「……早い、ね?」
 白々しい表情で片言……。翠が思うところは、
「昨夜、あれだけ翠を抱いたにも関わらず?」
 翠はなんとも言えない表情で、
「~~~……その……男性って、そんなに疲れないもの……?」
 性行為に関しての質問、だよな……?
 バカを言え。男だって相応に疲れる。ただ、そう答えるのは癪で、
「人によるんじゃない? 俺は普段から運動をしてるし、間違いなく翠よりはタフだと思うけど」
 どうしたことか、翠は俯いてしまった。
 今翠が何を考えているのかなんて、わかりようがない。
 でも、何かを高速回転で考えているのはわかる。
 その表情はどんどん歪んでいく。
 いったい何を考えてる……?
「なんでそんな顔?」
 俯いている翠の顔を上げるために、人差し指を顎に添えると、こちらを向いた翠は困惑した表情を見せた。
 なんていうか、不安そうな表情に見えるけれど、どうして……?
「何かあるなら言葉にして教えて欲しい。不安や心配事は聞けば解消できるかもしれないだろ?」
 何気なく促したわけだけど、このあと俺は息を止める羽目になる。
 翠は意を決したように口を開き、
「――……ツカサは一度に何回エッチしたら満足する……?」
「っ――」
 もしかして、三度目をしたいとか四度目をしたいって顔に書いてあったっ……!?
 焦る俺の傍らで、
「ごめんっ、今のなしでっ――」
 布団を頭から被ろうとした翠を寸でのところで引き止める。と、
「本当にごめんなさいっ。それを聞いたところで、今後どれだけがんばってもツカサに見合う体力は会得できないのに何訊いてるんだろ――」
 ちょっと待てっ――
 翠は頑なに俺の手を払い避け、布団に顔を埋めてしまう。
「翠」
「ごめん、ただいま自己嫌悪中につき、少し放っておいてもらいたいかも……」
 そんなふうに自分を責める必要はないのに。
 俺はマグカップをサイドテーブルに置くと、何も纏わない背中から翠を抱きしめた。そして、骨ばった華奢な肩にたまらず口付ける。
「最初の質問の答えだけど、満足感を得るだけなら一度で十分だと思う」
 でも、翠がこんな質問をする理由は、昨夜俺が二度目を求めたからだろう。そして、できることなら三度目、四度目を望むような顔をしていたからかもしれない。
 なら、正直に話すしかない。翠が思っていることを口にしてくれたように。
「ただ、思っていたよりも俺は強欲みたいだ。その満足感を何度でも得たいと思うし、多幸感に何度でも浸りたいと思う。それはたぶん、自分の精力が底を突くまで欲するのかも」
「っ……」
 翠の身体に力が入り、白い身体が小さく震えた。
 その身体を労わるように抱きしめる。
「だからといって、翠に俺と同等の体力は求めていないし、さっきの発言が何度もがっつく俺のことを考えてのものなら、今の翠のままで問題ない」
「……どうして?」
 翠は涙に濡れた目で見返してくる。
「インターバルをおけばいいだけだろ? 昨日も一回目と二回目の間に休憩を挟んだら大丈夫だっただろ?」
「……ん」
「そんな立て続けにしようなんて言わないし、思ってないから安心していい」
 翠はコクリと頷いた。
 そこで欲が出たのかもしれない。少し空気を軽くしたかっただけ、というのは完全なる言い訳。
「今は?」
 翠の顔を覗き込むようにたずねると、
「え……?」
「二回目からはずいぶんとインターバルあったと思うけど、三回目はだめ?」
「っ……」
 翠は目をパチクリとさせ、何か口にしなくちゃいけない。でも何を口にしたらいいのかわからない――そんな顔で口を中途半端に開けていた。
 そんな戸惑いを見せられたら冗談にするしかないだろ。
 俺はクスクスと笑い、
「悪い、冗談」
「もうっっっ!」
 翠は珍しく力の入った声を発した。
 その様に思う。元気そうだ、と。
 安心した俺は、
「でも、風呂には一緒に入らない? 夜とは違って視界をオフにできるほど暗くはできないけど、真っ青な空を見ながら入れる」
 視界をオフにできなかったら「NO」と言われるだろうか。
 そう言われないために俺が追加できる言葉といえば――
「翠の身体を見て痩せすぎとか言わないから」
「……思うのも禁止っ。どうやって太らせようか考えをめぐらせるのも禁止っ」
「手厳しいな……」
「禁止ったら禁止っ」
「でも、それならいいの?」
 翠ははっとした様子で我に返る。
 そこで俺は手早く翠をバスローブで包み、抱き上げることにした。
 今さら「NO」とは言わせない。
 そのつもりで宣言する。「もう遅い」と。
 翠を抱え上げると、
「えっ!? あのっ、お風呂の準備はっ!?」
「してないとでも思ってるの?」
「えっ!? だってっ――」
「さっきシャワー浴びたついでにバスタブも洗ってきた。で、さっきお茶を淹れるときにお湯張りボタンも押してある」
 そう言った直後、お湯を張り終わったことを知らせるメロディーが軽快に響いた。

 脱衣所で翠を下ろし、洗面所に置いてあったブラシで翠の髪を梳かす。
「どうしてブラッシング……?」
「そのまま入ったらまた髪を洗う羽目になるだろ?」
 翠は納得したふうだった。
 俺は高い位置でポニーテールを作ると、昨日翠が風呂で使っていたクリップを使いお団子をまとめる。
 その間翠は、羽織わされたバスローブの合わせをしっかりと掴んでいた。
 これはまた、脱がせるのに時間がかかりそうだ。
 俺は苦笑を漏らし、
「俺はさっきシャワー浴びてるから先に入ってバスタブに浸かってる。ちゃんと壁側向いてるから、翠は心行くまでシャワーを浴びればいい」
 俺は軽くシャワーを浴びてからバスタブに浸かり、昨日翠がしていたように壁側を向いた。
 お湯の温度は三十八度にしてあるし、入浴剤は清涼感あるミント。
 そんな早くにはのぼせることはないだろうけれど、できればなるべく早くに入ってきて欲しい。
 そんな思いでいると、割と早くに翠はバスルームに入ってきた。
 背後でモクモクと泡を立てる音が聞こえてきて、そのあとはとても静かだった。
 もしかしたら、ボディータオルらしきネットは泡を立てるためだけに使っていて、泡ができたら手で洗っているのかもしれない。
 そんな想像をしていると、シャワーの音が聞こえてきて、泡を流し去ったことを悟る。
「お邪魔します……」
 遠慮気味な声と共に、自分の左側にチャプンと音がした。
 入る瞬間くらい見てもいいだろう――
 そんな思いで翠の方を見ると、翠はフェイスタオルを縦に使い、しっかりと身体を隠していた。
 途端に項垂れたくなる。
「何も考えないって約束までさせたくせにそういう小道具使うんだ?」
「だって……やっぱり明るいところで見られるのはまだ恥ずかしいんだもの……」
「じゃ、翠が慣れるまで、ここにいる間はずっと裸で過ごす?」
「えっ!?」
 翠は「本気!?」とでもいうような顔をしていた。
「で、でもっ、稲荷さんが朝ご飯を届けてくれるのなら、洋服はきちんと着ていないとだめだと思うのっ」
「着替えた俺が、玄関で受け取ればいい話じゃない?」
「でもっ、午後になっても陽だまり荘に顔を出さなかったらみんなに――」
「みんなに?」
「――……~~~」
「星見荘で何してるのか想像されるのがいや?」
「っ――わかってて訊かないでっっっ!」
 これは少しいじめすぎただろうか。
 俺は笑いを堪えきれずに翠にキスをする。そして昨日と同じ位置へ翠を誘導すると、その腕に触れたまま、
「確かにまだ細い。でも、翠はきれいだ。ネガティブになる必要なんてないと思うけど?」
「それでも、恥ずかしいもの……」
「……ま、しばらくはこのままでもいいか」
 出会って三年。付き合い始めて二年。婚約して数ヶ月。つまり、過去は数年でも未来は何十年何万時間とあるわけで――
 そんな思いで空を仰ぎ見る。
「翠」
「ん?」
「空が青い」
 翠も顔を上げ空を視界に入れた。けれど、反応は得られない。
 何秒待とうとも返事がないから、翠の名前を呼んだ。すると、
「本当ね? 空が、青い……」
 隣の翠は、空を見たまま涙を流していた。
 なんで、泣く……?
 あまりにも突然のことに戸惑いながら、
「空が青くて泣く理由は?」
「……前に話したことがあるでしょう? 窓から見える四角い風景が嫌いだったり、雑誌に載っている切り取られた美しすぎる風景が苦手だったって」
 あぁ、そんな話なら入院してるときに聞いたことがある。でもそれって、今も継続してそう思っていたのか……?
 そんな思いで翠を見つめていると、
「でもね、今空を見たら苦手なはずの風景がすごくきれいに見えて、ものすごく愛おしく感じたの。それが嬉しくて……」
 翠は胸元を隠していたタオルで涙を拭き取り、その動作の続きで俺にキスをした。
「ツカサ、ありがとう。ツカサといたら、苦手なものも何もかも、全部上書きされて彩り豊かできれいな世界になっていく。本当にすごい。ツカサは魔法使いみたいね」
 そう言うと、翠はとびきりかわいく微笑んで、もう一度俺にキスをした。
 俺たちは何度となくキスを交わし、昨夜よりは数段甘やかなバスタイムを過ごしてバスルームをあとにした。
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