光のもとでⅡ+

Side 司 11話

「そろそろ上がるか」
 そう声をかけると、
「ツカサから上がって?」
「は……?」
「シャワーで泡を落としてから上がらなくちゃいけないでしょう? だから……」
 それすら見られたくないというのか。このあとすべてを曝け出す行為をするというのに。
 俺が口を開こうとしたら、翠の視線に制された。
「今は呑んで」――そんな視線。
 俺は仕方なく、先に上がることにした。
 シャワーを浴びて脱衣所に出ると、バスタオルで軽く水気を拭き取り、ラックに掛けてあったバスローブを羽織る。
 そこで翠を待ち受けていたわけだが、翠はなかなか出てこない。
 シャワーの音は止んだのに何をしている……?
 すると、非常に戸惑った様子で、
「あの……なんでいるの?」
 そんなの決まってる。
「もちろん、翠を迎えるため?」
「リビングで待っててくれて大丈夫っ」
 あああ……もう、我慢の限界。
 俺は翠が着る予定のバスローブを手に取り、バスルームに踏み入った。
「いい加減観念しろ」
 慌てる翠をバスローブで包み、腰のリボンまできっちり結んでやる。
 翠はあたふたした様子で絶句しているが、
「バスタブで手ぇ出さなかったの、褒められてしかるべきだと思うんだけどっ?」
 当て付けのように口にすると、小動物の目がこちらを向いた。
「ごめん、なさい……?」
 ここで謝られるのってどうなの……?
 それが顔に出ていたのか、翠は「あり、がとう……?」と言葉を改めた。
「どういたしまして」
 改めて翠を見下ろし、頭の上で束ねられた杜撰なお団子を見たらため息をつかざるを得ない。
 さすがにこれの放置はいただけない……。
 翠の傷み知らずの長い髪が好きだと思うし、風邪をひかせたいわけでもない。
「ツカサ……?」
「……このままベッドルームに連れ込みたいところだけど、さすがにその頭を放置してベッドルームへ連れ込むわけにはいかない。……タオルドライしたらドライヤーで即行乾かす」
 俺は洗面所でタオルとドライヤーを調達すると、リビングでスタンバイを始めた。
 コンセントにコードを挿し込みタオルを手に取ると、乾かす対象がまだリビングにいなかった。
「翠、早く」
「は、はいっ」
 翠をソファに座らせると、頭上で留めてあったクリップを外し、目の粗いコームで髪の毛先から慎重に櫛を通す。
 それが終わるとタオルドライ。なるべく手早く髪の水分をタオルに吸い取らせ、それが済むとドライヤーを手に取った。
 頭から二十センチほど離して温風を当て始めて思う。夏という季節にドライヤーは暑くはないだろうか、と。
 ここは藤倉ほど暑くはないし、エアコンを入れる必要もないような気候ではあるが――
「熱くない?」
「大丈夫……」
「熱くなったら言って」
「はい……」
 翠は非常に従順に髪を乾かされていた。
 なんていうか、乾かされ慣れている感じ。
 これは自宅で、御園生さんなり唯さんに乾かされてるんだろうな……。
 その乾かす人間たちを羨ましく思いながら、艶やかな髪に温風を当てていると、
「慣れてるのね……?」
 それは俺が言いたい言葉だけど……。
「姉さんの髪、やらされることがあったから」
 その返答の何がおかしかったのか、翠はクスリと笑みを零した。そして、
「湊先生、いつごろ髪の毛を切ったの?」
「……確か二十歳過ぎくらい」
「何かきっかけがあったとか?」
「毎日のようにくる縁談に痺れを切らして、親戚縁者の前で花切り鋏でバッサリと」
「は、花切り鋏っ!?」
 翠は俺の方を向いて口を両手で押さえるほどに驚いて見せた。
 ま、腰まであるロングヘアを花切り鋏で切る人間は稀だとは思うけど、それほどまでに腹に据えかねていたのだろう。
「自分は藤宮の道具じゃないし、医大生の貴重な時間を縁談なんかに費やす道理はないとか啖呵を切った結果、じーさんに静さんとの婚約を突きつけられたわけだけど……」
「え? どうして……?」
「静さんも静さんで縁談断りまくってて、碧さん以外の人間を見ようとしなかった問題児だからじゃない? 姉さんが三十になるまでに静さんが誰とも結婚しておらず、姉さんに特定の相手がいない場合、姉さんの誕生日に式を挙げるってところまで決められてた」
 翠は頭を右に傾げ、
「……ふたりが婚約状態にあったのって、栞さんも知らなかったし、海斗くんも知らなかったよね? 楓先生も秋斗さんも知らなかったって聞いているのだけど、ツカサは知っていたの?」
「それ、姉さんにも訊かれたけど、ほぼほぼ確信犯がひとりいたのと、危機管理が甘すぎるバカな姉だったから、知りたくもないのに知っちゃった感じ」
「どういうこと?」
 さらに傾斜が追加される。翠の頚椎はどうなっているんだろう……。
 そんなことを思いながら、
「じーさん、ふたりを婚約させたときに約束させたらしい。婚約者同士が全く顔を合わせないのもあれだから、月に一度はふたりで食事をするように、って」
 それだけでは翠には見当がつかないようだ。
「姉さん、酒弱いだろ?」
「うん……」
「その姉さんに酒を飲ませるのが静さんで、食事の帰りは決まって静さんが姉さんを送ってきてた。しかも、俺がマンションにいる日を狙って」
 つまり――
「静さんは俺に隠すつもりがさらさらなかった人。姉さんはベロンベロンに酔うと口が軽くなる。とくに自分の家だと拍車をかけて」
 ようやく全貌を理解したのか、翠はクスクスと笑いだした。
「元おじい様も元おじい様だけど、静さんも静さんだし、湊先生も湊先生よね?」
「本当に。あれでどうして秘密が守れていると思えたのかが謎でしかない」
 翠の笑い声が好きだ。
 なのに今は、ドライヤーの音が邪魔して少し残念な気分。
 でも、根気よく乾かしたとあって、あと少しで乾ききる。
 そんなとき、翠の頭が前後に揺らぎ始めた。
 これ、寝てないだろうな……?
 ドライヤーのスイッチを一度止めると、気づいたらしい翠が顔を上げた。
「そのまま寝たらただじゃおかない」
 真顔で告げると、
「ね、寝たりしないものっ!」
「どうだか……」
 疑いの眼差しを向けると、翠は早々にカミングアウトした。
「……だって、ツカサ、髪の毛乾かすのとっても上手なんだもの。美容師さんにだってなれそうよ?」
「なるつもりはないけれど、翠限定で専属髪乾かし師ならやらなくもない」
 そんな暁には何を交換条件にもらおうか。あれこれ自分の利になることを考えていると、
「それ……多大な見返りを求められそうだから遠慮しておくね?」
 やけに察しのいい翠に舌打ちをする。と、またしてもクスクスと笑い始めた。
 さ、全体的にくまなく乾かせただろう。
 送風をかけて粗熱を取れば完成。
 ドライヤーのスイッチを切り、
「粗熱も取れましたが、仕上がりにご不満でも?」
 翠は感触を確かめるように手櫛を何度か通し、
「星五つ! とっても満足な仕上がりです!」
「それは何より」
 俺はさっさとドライヤーを片付けると、ソファの背後から座る翠に手を伸ばした。
「ん?」
「そのまま俺の首に腕回して」
「首? 腕?」
 翠は首を傾げたまま俺の首に腕を回す。俺は補助を得たことに安心し、そのまま翠を抱え上げた。

 ベッドルームに移動し翠をベッドに下ろすと、俺は一息に腰のリボンを解く。
「ツカサっ、バイタルの設定っ――」
 もう済んでるし……。
 それでもスマホを目にしないことには落ち着かないだろう。
 俺は面倒だと思いながら、ベッドサイドに置いていたスマホを手に取り翠に手渡す。
 翠はスマホと俺の顔を交互に見て、ようやくスマホのディスプレイを表示させた。
 問題なくループされた数値が表示されているであろうに、翠はその画面に釘付けになっている。
 何を考えているんだか……。
「問題がないってわかったなら俺に意識戻して欲しいんだけど」
 俺は翠からスマホを取り上げるとサイドテーブルにスマホを戻し、翠に向き直る。と、顔を真っ赤にした翠が、
「用意周到すぎ……」
「心外だ。この設定がされてなかったら翠は怒るだろ?」
「それはそうなんだけ――」
 俺は我慢できずに翠の口を塞いだ。
 一度唇を放し、
「文句ならあとで受け付ける。もう我慢できないからいい加減、こっちに集中して」
 これ以上のお預けはもう無理――
 俺は貪る勢いで翠に口付け始めた。
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