恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「愛の強さと抱き締める力は比例する」
「どこかで聞き覚えがある」
「院長のセリフを奪っちゃいました」
「俺の心も」

 そんなことをさらりと言いながら、右手で抱き寄せて、厚い胸板に私の頭を乗せる。

「人の心を奪うのは、どうして罪にならないのだろう」
 院長が天井を見つめながら、ぽつりと呟く。

「心は奪われても、幸せが増えてます」
「そうだな」

 羽毛みたいに柔らかな院長の微笑みが、言葉には出さなくても、幸せって言っている。

「こんなにも心を乱される毎日に、自分で自分がおかしくて笑ってしまう。わかったんだ、俺が生きていく上で重要なものが」

 しなやかな指先が、静かにノックをするみたいに、私の胸をそっと叩く。

「胸?」
「そうじゃない、愛だ」
 私の答えに吹き出したあと、真顔に変わった。

「これからもずっと、こうして川瀬の愛を感じていたい」 

「院長に私の愛を。そして、院長の愛を感じていたいです」

 院長の心臓の音を聞きながら、身も心も預けて安心感に包まれる、他愛ないひとときが幸せのときを導く。

「ヴァンスのおかげで大切なものに気づいた。生涯、ヴァンスに足を向けて寝られないな」 

 天井を見つめながら、ゆったりとした口調で微笑み交りで呟く。

「生涯?」
「ああ」
 当然だ、って感じに髪をさわさわ撫でてくる。

「生涯?」
「ああ、そうだ、何度聞いても答えはひとつだ」
「ずっとずっと、いっしょ」
「ずっと、これからずっとだ」

 院長の愛に包まれ、心から甘えられる幸せを与えられた。

「院長」
 急に思い出した。
「ん?」
 院長が不思議そうに見つめる。

 近すぎる院長の顔が、よく見えるように、うしろに首を反らして仰ぎ見る。

「通用口のドア、いつもより早く施錠しましたね」
「そんなことあったか」 

「とぼけてもダメですよ、院長の策士、策士」
「なんとでも言え。川瀬は生涯、俺のものだ」

 心の中の喜びは隠しきれなくて、嬉しくてにこにこしながら、また院長の厚い胸に顔を預ける。

 五本の指のあいだに私の髪の毛を絡ませ、優雅に撫でる手の温もりが心地よくて、院長の心臓の音が安心させてくれる。

「今なら、教えてくれるか」
 耳に直接入ってくる、改まった声に顔を上げた。
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