恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
スタッドコール(緊急館内放送)か》
「今すぐ直ちに、とにかく急げ」

《今どこだ?》
「凡蔵。あっ、違う。保科の前です」

《誰がボンクラだよ》
「店名です」

 数十分後、太陽みたいに明るく眩しい笑顔が現れた。

「お疲れさん。ボンクラ行くぞ、ボンクラ」
「なんか私がボンクラみたいです」

 私から電話をしたんだから、なにかがあったことは、わかっている。

 でも、なにがあったか聞くこともなくて、ふだん通りにしていてくれる。

 駅から目と鼻の先にある、お店に向かってみると、テーブル席が三卓にカウンターが七席の、どこかの田舎を思わせてくつろげる居酒屋だった。

 さっそくビールと料理を注文しながら、ふだん通りに話しかけてくれる。

「どうだ、保科さんは。慣れたか」
「ええ、まあ」

 力なく返事をしてから院長を真似て、これまでの事の成り行きを説明した。

「すげぇな、女捨ててる。院長って、そんなに不細工なのか、その物真似は完成形なのか」

 私の目の前で大きな目をきらきらさせて、まっ白な歯を見せながら笑っている人。

 小川動物病院の海知朝人(かいちあさと)先生、年齢は二十六歳。

 小川時代から愚痴を聞いてもらっていて、ずいぶんお世話になっている。

「そんなに振っ切ってましたか、完成形です」

「うん、完全に気配を消してた。未見の俺でも院長が想像できた。でも、それ他でやらないほうがいい。ひどく不細工だ」

「真顔で毒吐きひどい」

「川瀬の顔の方がひどい。馬鹿だな、真性の馬鹿に馬鹿って言えないだろ。それと同じだ」

「慰めが雑」
「お前は顔の造りが雑だよな」
 それ言うかな。

「ところで川瀬。院長の物真似が、似てるか似てないかが目下の悩み?」

 落ち込む私の心を、少しでも軽くしてくれる。

 海知先生って、本当に話しやすい雰囲気を作ってくれるのが上手。

「もう嫌、保科辞めたい。私には、あの院長無理」

 独り言を吐き出し、テーブルに突っ伏して泣きべそをかいた。

「もう無理、ヤダヤダ。私には、できない」

 ウダウダ愚痴りながら、子どもがイヤイヤをするように首を振った。

「おい、やめとけ。ただでさえ低い鼻がテーブルで擦れて、もっと低くなるぞ」

 真剣な声が突っ伏す頭上に飛んでくる。

 お願いだから、笑って笑って笑い倒してよ。

 あああ、こんな私なんかいらない。

「なあ、顔上げろよ」

 深刻な声で肩先を突っつかれた。

「心配してくれてるんですね、やっぱり海知先生」

「ビールと料理がきたから邪魔なんだよ。どけよ」

「やっぱり、いつもの海知先生だった」

 上体を起こして、ビールジョッキを手に持った。
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