王子様とブーランジェール




「せ、せんせぇ…」

「…あ?」



顔を上げて、先生の方を見ている。

目が少しうるうるしていて、今にも泣きそうなんだけど。



だが、耳にした発言は、誠か。

桃李の本音を、初めて耳にする。




「先生っ…私、変わりたいっ…」



(…えっ…)



少し、耳を疑った。



「…ほう?」

糸田先生は、膝に肘をついて、身を乗り出す。




「私、変わりたい…。ち、ちゃんとこう、い、言いたいことはっきり言えるようになりたい…」

「ふーん」

「だ、ダメでドジなのをやめたい…き、挙動不審もやめたい…」

「…へぇ?」

「恐がりもやめたいっ…強くなりたい…」

「…で?」

「だ、だから、もう、逃げないっ…頑張りたい…頑張りたいんですっ!…」




少しばかりか、放心させられる。



(…変わりたいって…?)



糸田先生は『へぇー』と頷いている。

「おまえ、頑張りたいって言ったけど、具体的に何を頑張るのよ。口だけじゃ何も変わらねえぞ?」

「あ、それは…あっ」




桃李が顔を上げた先の視界に。

俺の姿が入ってしまった。




あ…。

ふと、目が合ってしまった。

存在に気付かれた。




「…あぁ?」




桃李の様子を不思議に思ったのか、先生もこっちを振り向いた。

振り向いた先生の眉間にはシワが寄っている。



「おう。おパーマ竜堂じゃねえか。どうした?」



すかさずいじってくるな。

たいしたヘアスタイルじゃないっつーの。



たまたま偶然、二人の会話を聞いてしまったのだけれども、特にやましいことはない。

これはもう、さっさと用事を済ませて帰る。




「あ、すみません。すぐに済みます…おい!」




桃李はこっちをきょとんとして見ている。

声をかけると、ハッと気付いて返事をした。




「…あ、はい!」

「ベスト!…家に着いたら連絡しろ!」

「う、うん」




伝えるべきことを伝えて、さっさとずらかる。

パイプ椅子に座っている先生に、『お疲れ様です』と頭を下げて、速やかにその場を去った。

倉庫で作業を続ける桃李を背にして。




グラウンドを出て、家への近道である学校の西出口を抜ける。

歩くスピードはなぜかどんどん早くなっていく。

競歩並みにめちゃくちゃ早くなったところをピークに、そこからはスピードはどんどん緩まっていき。

やがて、立ち止まってしまった。




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