雨の降るここでお日様が手を差し伸べる
生まれた赤ちゃんは、女の子で

“”優衣“”


と名づけられた。



それが多分いま、叶夢の、知ってる優衣ちゃんだろう。




優衣ちゃんは、NICUに入ったものの、少しづつ成長していった。




だが、麻衣さんは、抗がん剤の副作用が出やすいようで、悲し苦しんでいた。





それでも、麻衣さんは耐え続け、1年後には
寛解までに回復した。




優衣ちゃんも、その3ヶ月後には退院でき、
旦那さんと3人で暮らしていた。





でも、4年後の定期検診の時、麻衣さんの、再発が見つかった。




優衣ちゃんはその頃には物心がつき、
痛い、苦しい、の意味がわかるようになり、
ふただびはじまった麻衣さんの抗がん剤治療
で苦しむ姿を見ていつも心配そうに



「ママ〜?」




も呼びかけていた。





優衣ちゃんのお父さん、秀(しげる)さんも
優衣ちゃんの幼稚園のお金と、生活費、
治療費に、入院費を働くためにずっと仕事をしていた。






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