レフティ

『で、今いい人はいるの?お母さんね、そろそろお見合いもいいのかなって思って…』

『…あぁ、うん。考えとくよ。それより振袖ないかな。年始の授業で使うのに、枚数足りなくて』

そうして手に入れたのが、あの日彼女に着せた振袖だった。
首のラインが強調される和服が、華奢な彼女にはよく似合う。
本人はあまりそれを自覚していないようだが。

俺は彼女の隣にいると、まるで自分が普通の人間のように思えた。

母の言う通り、いずれは親の決めた相手と結婚することになるだろう。
そんなことは、小さな頃から決まっていた。

それにずっと、何者かもわからない自分が気持ち悪かった。
親の顔も知らない。自分の本当の名前も、誕生日も知らない。
ひょっとしたら殺人鬼の血を引いているかもしれないし、そうでなくてもとにかく俺は、望まれてこの世に生まれたわけじゃないということは確かだ。

だから、別に人生なんてなんでもよかった。
俺が母の連れてきた誰かと夫婦になることで、“松田屋”が潰れないのなら、それでいい。
俺がいることで誰かが助かるんだったら、なんだってする。
それは自己犠牲なんて、綺麗なもんじゃない。
ただ、自分に興味がなかった。

だけど彼女といるときだけは、なぜか違っていたんだ。
自分にしてはすごく感情が揺れ動いて、なんだか落ち着かなかった。

なにをやっても不器用で、それを補おうと必死に頑張っているけれど、それが報われている感じは全然なくて。なのに腐らない。
そういうところが、たぶん他の女とは違うと、俺の中で認識されたんだと思う。

いつかは離れなきゃいけないとわかっていながら、彼女の気持ちをいいように利用して。
今は離れたくないなんていう、ただの俺のわがままに付き合わせてしまった。

彼女は俺をすごく大切そうに見つめるけれど、彼女は本当の俺を知らない。
本当の俺を知ったら、きっと離れていく。

そしたらなんだか、急に怖くなった。

彼女と別れるとか、他の誰かと結婚するとか、松田屋を継ぐとか。
“嫌だ”って感情が、どんどん抑えられなくなっていく自分が怖かった。

そして俺は、今までの俺に戻りたくなった。
何にも執着しない、安定した自分に。

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