月は紅、空は紫
「――だ、誰かッ!」

 暗闇の中、仁左衛門は助けを求める声を上げた。
 怪我で動けないから、というだけでは無い。
 あまりにも不自然な自分の怪我に――仁左衛門は『自分は襲われたのではないか』という結論に至ったのだ。
 しかし、恐怖の為に小さく掠れてしまった仁左衛門の声は闇の中に虚しく消えていくばかりである。

「誰か、誰か……助けてくれ――」

 祈るような気持ちで、まるで念仏を唱えるように同じ言葉を繰り返す。
 仁左衛門は、この時には既に『自分は辻斬りに襲われた』と思い込んでいた。
 いきなり人間の身体の一部を奪ってしまうような自然現象など、仁左衛門の知る限りでは存在しない――ならば、自分は夜道で辻斬りに脚をやられてしまって倒れたのだ、と。
 だが、仁左衛門の眼には助けを求める相手も、自分を襲ってくる辻斬りの姿さえも見えない。
 視界の中にボンヤリと見えるのは、自分の傍らに生えている雑草だけである。

――仁左衛門の考えは概ね正解している。

 仁左衛門を襲った者は、確かに存在していたのだ。
 この暗闇の中で――姿の見えない不審者は、身動きの取れないでいる仁左衛門に止めを差すべく少し離れた所からその刃を横薙ぎに振るった――。
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