月は紅、空は紫
 小半刻ほどで、検分に立ち会う為に必要な準備を整えて、ようやく清空は診療所を出発した。

「もう! 清さんがいつまでも寝てるからだよ!」

 隣を歩きながら文句を言ってくるのは、京の中でも有数の呉服屋である但馬屋の次女、小夏である。
 『あばら長屋』から、六間ほど離れた大通りに店を構えた大店の娘ではあるが、幼い頃より清空を慕って『空診療所』に大した用も無く訪ねて来る。

 まだ前髪を残し、あどけない顔付きではあるものの、通った鼻筋に白い肌、整った眉に大きな瞳は少女が近い将来には男の心を惑わせる程の美女になるであろうことを確約している。

 とはいえ、清空にとっては一回りも歳の離れたこの少女は妹のような存在であり、恋愛対象にも遠く離れてしまっている。
 ゆえに、しょっちゅう診療所に訪ねてきては眠っている清空を叩き起こすこの少女は、可愛いながらも少々やっかいな存在である、とも言えた。

 小夏の先導によって、桂川のほとりの死体発見現場に清空たちが着く頃には、周囲に野次馬の集団が湧いてしまっていたのだった。
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