ニセモノ夫婦～契約結婚ですが旦那様から甘く求められています～

「とりあえず中でお話ししましょうか、相原さん？」

　男性が、小刻みに震える私の肩を掴む。ぐっと力を入れられた瞬間、ついに頭の中が真っ白になった。

　……そうだ。未来を考えてもしょうがない。私は今、お父さんを守るんだから。心の中で、言い聞かせるようにゆっくりとつぶやく。

　私が自分を失う覚悟を決めた瞬間だった――。

　静寂の中、コツ、コツ、と靴のかかとがコンクリートを叩くような硬い音がする。ふと視線を移した。すると、街灯の灯りのもとに、ひとりの男性が姿を現す。

　無造作にセットされた黒のミディアムヘアに、目尻がやや垂れたくっきりとした二重の目。鼻梁が伸びていて、肌は夜の中で白く透き通っている。

　驚くほどに整った見た目をしている男性は、私たちの目の前で立ち止まった。

「おいくらですか？」

「はっ？」

　黒髪の男性の言葉に、井原さんが顔を歪めた。しかし、黒髪の男性は物怖じすることなくさらに問い掛ける。

「彼女がお返ししなければいけないのは、おいくらなんですか？」

「誰だてめぇ。関係ないやつは引っ込んでろ！」

　井原さんが語調を荒げて黒髪の男性に迫る。誰だかわからないけれど、このままでは黒髪の男性が殴られてしまうのではないと私は慌ててふたりの間に割って入った。だが、

「今すぐ全額払うと言ってるんだ。いいから金額を教えろ」

　黒髪の男性は憮然とした態度で言った。私は耳を疑った。

　……この人、今、全額払うって言った？