三十路令嬢は年下係長に惑う
一眠りして、間藤はうつらうつらとしながら、いい香りで目が覚めた。出汁のやわらかな香りが鼻孔をくすぐる。

 ベッドからぬけ出すと、カウンターの向こうで料理をしている水都子の姿があった。

 エプロンはしていないが、手慣れた様子は日頃料理をしているだろう事がうかがえた。

「あ、起こしちゃいましたか?」

 寝室からリビング越しに様子を見ていた間藤の姿に気づいた水都子が言った。

「もう少しでできますから、ベッドで待っててください」

 ベッドで待つ、という言葉の響きに余計な妄想を巡らせながら、間藤はふるふるとかぶりをふって言われた通りベッドに戻った。

 ベッドで待っててかあ、もっと別のシチュエーションで聞きたかったなあ、などと、不埒な事を考えながら、間藤がベッドに潜り込むと、包帯をしている右手がわずかに熱をもっているようで痛かった。

 骨折はしていないものの、打ち身と出血もあり、包帯でガッチリと固められた腕に負担をかけないようにして横たわる。

 清潔なシーツの心地よさに、今更ながらわずかではあったがゆっくり眠れた事に、健康と清潔な環境は無関係では無いのだと思い至った。

 どことなく固いのは洗晒した後だからだろうか、と、思ったが、よく考えたらこのベッドは鈴佳も使ったのか、と、思うと、匂いをかぐのはやめよう、と、顔を上げた所で、トレイの上に土鍋をのせた水都子と顔が合ってしまった。

「あ……」

 間藤は、水都子からの白眼視を避けるようにあさっての方向を向いた。

「食事を……持ってきたんですけど」

「あ、いただきます、いただきますッ!」

 いい香りを意識してから(水都子の部屋の香りではなくて料理の)、空腹を自覚していた間藤は、半分逃げかかっていた水都子を呼び止めるように手を伸ばした。

 利き手の使えない間藤への配慮か、食事はおじやだった。水都子がベッドの横の机にトレイを置いて、蓋をとると、土鍋からたちのぼる食欲を刺激する香りが濃くなった。

 椀によそったものにレンゲをそえたものを渡されたが、ベッドの上で片手で食べるのは難しそうだった。

「そうだった、ここじゃ食べにくかったか、やっぱりリビングの方がいいですね」

 そう言って、てきぱきと水都子に椀をとりあげられると、さすがにあーん、は、無しか、と、思いながら、間藤は起き上がってリビングへ向かった。
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