さざなみの声


 スカートの裾を持ち上げて波と暫く遊んでいた。やっぱり一人じゃつまらない。そんな当たり前の事に今さらのように気付く。

 海から上がって濡れた足を乾かしながら浜辺に座っていた。

 見上げると、どんより曇った梅雨時の空。今にも雨が降り出しそうな気配を感じてヒールスニーカーを履いて立ち上がった。スカートに付いた砂をはらって遠い海の先に見える船を見送って宿泊しているペンションへと向かう。

 海からペンションまでは、ゆっくり歩いても五分くらい。それでもやっぱり雨が降り出した。細かな霧雨だったから、それほど濡れはしなかったけれど。

「おかえりなさい」
 ペンションの奥さんが笑顔で
「雨、降ってきましたか?」

「はい。ほんの少し前から」

「風邪をひくといけません。シャワーを浴びてはいかがです?」

「そうね。そうします。ありがとう」

 私は二階の自分の部屋へ入った。このペンションは、それぞれの部屋にユニットバスが付いていて時間を気にしないでいいから助かる。真夏の海へ遊びに来る観光客には好評だろう。部屋で水着に着替えてそのまま海へ、戻って海水と潮風にベタつく体をすぐに洗い流せる。

 私もパサついた髪とベタつく足が気になって少し冷えた体を温めながらシャワーを浴びた。シャンプー、洗顔、体も綺麗に洗い流して、さっぱりした気持ちでシャワーヘッドを戻す。

 真っ白なバスマットに濡れた足。髪から落ちる雫をバスタオルで拭う。ふと頭の中で声が聞こえた。

「綺麗だよ。寧々。まるでユリの花のようだ。そのままこっちへおいで……」

 体に残った水分を取りながら一緒に過ごした時間を思い出してしまう。

 彼はいつでも優しかった。手に入れたばかりの子犬を可愛がるように……。飽きるほど愛してくれた。彼の手が指先が唇が。熱い胸に抱かれながら、どこにも逃げられないと観念した私はただ与えられる悦びを至上の愛だと信じた。

 バスタオルを巻いたまま鏡の前。後ろから抱きしめられた記憶。その愛しい胸、包み込んでくれた腕は私だけのものにはなり得なかった。初めから分かっていた事なのに。

 鏡に映った私に向かって首を横に振る。忘れたいのに、もう抱きしめてくれることもないのに……。
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