さざなみの声


「私は偉そうに説教するような立派な人生を歩いて来た訳じゃない。貴子も我が儘に育ててしまって君には申し訳なく思っているんだが」

「どうされたんですか?」

「啓祐君は何歳になった?」

「三十五歳になりましたが」

「ちょうど啓祐君くらいの頃だな。私には妻以外に好きな女性が二人居た」

「えっ? お義父さんがですか?」

「私も若かったからね。今となっては良い思い出なんだが」

「どんな女性だったんですか?」

「一人は偶然入った小さな小料理屋を一人で切り盛りしていてね。まだ三十前だったんじゃないかな。ご主人を亡くされて小さな男の子が居た。私も若かった。純粋に力になりたくてね。毎日のように通ったよ」

「きっと美人だったんでしょうね」

「そうだな。綺麗だったよ。健気でね。辛かったと思うよ。あの若さで子供と二人で必死に生きていた。何かしてあげたい。私のような者が本気でそう思っていた」

「それは家庭を捨てても、そこまで考えていたとか?」

「考えない訳じゃなかった。そうしてもいいとまで思っていたよ。それくらい魅力的な女性だった。でも……」

「でも?」

「亡くなったご主人の実家は仙台で大きな病院をされてるらしくて。院長は一人息子の結婚に反対だったらしい。それでも息子を亡くした後、たった一人の忘れ形見のその男の子を是非、引き取りたいと。もちろん彼女も嫁として迎えると……」

「それで仙台に?」

「彼女も悩んで相談してくれたんだが子供の将来を考えると」

「今、幸せなんでしょうか?」

「実は会いに行って来たんだ。亡くなったご主人の友人としてね。ご両親も良くしてくれているようで幸せそうだったよ」

「そうだったんですか。でも良かったですね」

「そうだね。今では心からそう思っているよ」
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