檸檬の黄昏

しばらくして耕平は欠伸をした。
やはりかなり疲れているようだ。


「お休みになられて下さい、耕平さん。時間を見て帰りますから」


耕平は、しばらく茄緒を見つめていた。


「耕平さん……?」
「………」


耕平の手がゆっくりと伸び、そのまま茄緒の頬に触れようとした。
その時。
耕平のスマホの着信音が鳴った。
茄緒に伸びた手が戻りスマホを取り出し耳に当てる。


「敬司か、どうした。……ああ、おれはもう家だ」


同じく出張中の敬司からの電話のようだ。
スマホを耳に当て立ち上がると、何事もなかったように話ながら寝室へ移動していく。


「今の、なに?」


茄緒の胸が鼓動を打っている。

それ以上は考えないようにしてマグカップをキッチンで洗い片付けると、風呂掃除を済ませる。

服が乾かないこと雨が上がらないことには何も出来ないので、茄緒は時間をもて余した。

雷もまだ止みそうにない。

しばらくして、そっと寝室を覗くと耕平はスマホを握ったまま倒れ込むようにベッドに横になり眠っていた。
出張中、髭を剃らなかったのか無精髭が目立ちはじめている。

茄緒は声をたてずに笑うと静かに寝室へ入り、スマホを手から取るとサイドテーブルに置く。

そこには写真立てがあり一人の女性が映っている。

肩下の髪、丸い可愛らしい瞳が優しく穏やかに微笑んでおり、写真の前にはシルバーの指輪が置いてあった。

耕平の薬指に嵌めてあるものとお揃いの指輪だ。

稲光を受けチラチラと二人の指輪が光っている。



外で大きな雷鳴が響く。
茄緒の胸が同時に高い音をたてた。


それと同時に沸き上がる、いらだち、悲しみ、何とも言えない絶望のような虚無感。


耕平の誠実な人柄に、ここは称賛し感激する場面だ。


だが茄緒はそう思えない感情が沸き上がるのを感じたのだ。


石田の指輪を見た時はこんな気持ちにはならなかった。
微笑ましく優しい気持ちになれたのに。


茄緒は顔を背け眠る耕平にそっと掛け布団をかけると、振り返ることのないまま寝室を後にする。


心臓が早鐘を打つ。


茄緒はうつむいた。



茄緒はやがて乾いた服に着替え耕平に借りた服を持って外へでた。
雷は治まったが、まだ雨は降り続いている。

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