一年後の花嫁
『ねえ、お願いがあるの』
ある春の日、部活が終わって部室に帰ろうとする俺の手を、長妻が掴んだ。
『え?なに?』
『……格技棟まで、ついてきて欲しいの』
『はぁ?この時間だろ?ぜってーやだ』
俺がそれを拒んだのには、きちんと理由がある。
俺たちの学校には、体育館とは別に、格技棟という柔道や剣道用の、小さな体育館みたいなものがあった。
かつて、柔道部が全国大会常連だったことから建設されたらしいが、すでにその柔道部は廃部。
いまや体育の授業のほんのわずかな期間だけ、そこを使うくらいになっていた。
つまり。
そこは絶好のたまり場だったのだ。
それも、カップル限定の。
噂では、曜日と時間ごとに、予約表があるとかないとか。
『お願い。どうしても確認したいことがあるの』
そんなところへ、一体なにを確認しに行くというのだ。
そもそも二人でそんなところに足を踏み入れるのを、誰かに見られていたら。
絶対に噂になってしまう。
『お前、彼氏いるんだろ。誰かに見られたらどうすんだよ』
『だから。その彼氏のことなの』
すがりつく彼女は、妙に弱気な、ただの女の子だった。
『はぁ……わかったよ』
「……号泣、してたよな」
思い出したら、急に笑えてきた。
彼女の隣に並んで、真っ赤なモミジを見上げる。
葉の隙間からのぞく空は、次第に紫色に染まってきていた。
「やめてよ、もう。あれは……最悪だった」
そう言う彼女も、笑っている。