ひと雫おちたなら

ビールを飲む手を止めて、せわしくとくとく鳴り出した胸の鼓動をいま一度確認する。

なるほど、そういう意味の曲だからあんなに楽しそうで、あんなにくるくる踊りだしそうなんだ。
ぴんと張りつめた水にぽつんぽつんとひと雫ずつ落ちていくような『ジムノペディ』とはまったく違う、好きな人への愛しい気持ちを表現した『ジュ・トゥ・ヴ』。


分かりやすいほど『ジュ・トゥ・ヴ』は明るい曲だもんなあ、と妙に納得した。


「音楽のことは分からないけど、ひとつひとつの音にちゃんと意味があるんだよ、きっと。無駄なところなんてどこにもない」

ぽつりとつぶやいた睦くんの言葉が引っかかって、なんとなく彼の顔をのぞき込んだ。

「…それは、絵も同じ？」

「近いところはあるかもね。キャンバスのちょっとした余白も、重ねる色にも、ちゃんと気持ちを込めてるつもり」

「じゃあ、私の絵も？」

私を描く時は、どんな気持ちを込めてるの？

そこまでは聞けなかったけど、睦くんは少しのあいだ私を見下ろしていた。
答えに詰まるとか、答えを探しているとか、そういうことではなく。おそらくなにかしらの答えはもう彼の中にあって、それをあえて口にはしないという顔。


ふと睦くんが自分の首に巻いていたマフラーをほどき、私の首へ緩くかけた。
ベンチに置いていた私の右手に、彼の左手が重なる。

あ、手が触れた。
そう思った矢先に彼が空いている右手でマフラーを引き寄せ、抵抗する間もなく私の唇に彼のそれが押しつけられる。

びっくりして、手に持っていたはずの缶ビールを落としてしまった。
たぶん、中身がこぼれて足元の砂地を濡らしているはずなのだが、それを確認する時間はなかった。


荒波にのまれるような感覚だった。
私の後頭部を彼の手が支えて、身動きがとれない。熱がこもっていくキスをお互いに止められなかった。
彼の肩にしがみついて、ついていくのがやっとだった。
リードされているのが悔しくて、余裕があるふりさえできなかった。

睦くんの知らない一面を知った気がした。


私の右手に、彼の左手がまた重なる。
きちんと、ぎゅっと握り返せばよかった。