胸騒ぎの恋人
春は短し恋せよ乙女
まるで短い春を思い切り謳歌するかのよう
 咲き誇っていた桜の花も散り ――、
 春の柔らかな風が爽やかに吹き抜け、
 日溜まりもほろほろと零れ落ちる今日この頃。


 墓前に手向けられたお線香からモヤモヤと
 立ち昇る白い煙をぼんやり見ながらふと思い出す。

 父・雅史はかねてより、
 病院でなく畳の上で死にたいと言っていたが、
 その望みはとうとう叶えてあげられなかった。

 1人娘・実桜(みお)が駆け付けた頃には既に ――  
 彼は病室の使い慣れたベッドの上で、
 永遠の眠りについていた。


 後になって、主治医・速水に聞いたところ、
 交通事故の記憶障害の他に**癌のステージⅣで、
 転移が体の至る所にが広がっていて、
 もう手の施しようもなかったと。
 どちらにしても、もって2ヶ月位だったろうと
 言われた。

 もともと、とてもせっかちな人で、
 今日できる事を明日に延ばすなと、
 娘ののんびりぶりを叱り飛ばしたものだが、
 せっかく皆んなで計画していた還暦のお祝いも
 待たず、大急ぎで逝ってしまったのだ。

 雅史らしいと、父をよく知る昔馴染みの
 速水医師は寂しそうに笑った。


 今日の納骨でとりあえず雅史の法要は一段落ついた。

 父の古い知人達への香典返しや細々とした遺品の
 整理はまだ残っているが、とりあえずは明日の新幹線で
 東京へ帰ろうと思う。


「……じゃ、父さん。次は正月辺りに来るね」


 踵を返して墓石の立ち並ぶ通路を歩いて行くと ――
 端の角を曲がって現れたスーツ姿の男がこちらへ
 向かって来るのが見えた。

 その男 ――
 ごく普通にスーツは着ていても、パッと見、
 普通の勤め人には見えなくて。
 けど、まとっている全体的な雰囲気はすっごく
 デキそうなエリートビジネスマンって感じで。
 そのギャップが不思議に思え、俯きながらもついつい
 上目遣いでチラ見してたらすれ違った時、薄く微笑み
 会釈されてしまった。

 その瞬間、心臓の鼓動がドクン! と跳ねた。

 その男がさっきまで自分のいた墓前に立ち止まって
 花と線香を手向け手を合わせたのを視界の端で
 捕らえ。

 ”あれっ、お父さんの知り合いだったのか……”
 と思いながら、既に心は東京に戻れば再び始まる
 慌ただしい生活に飛んでいた。

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