大江戸シンデレラ

女郎から遊女になり、二階に上がれたからと云って、おいそれとなれるものではない。
遊女にも順序があった。

一部屋のみを(ゆる)された「部屋持ち」は、客をもてなすのも床入りするのも同じ部屋だ。

「座敷持ち」になると、客をもてなす座敷とは別に床入りの部屋も赦される。

そして、(くるわ)の二番手で昼の揚代が三分というところから由来する「昼三」や、さらに廓の頂点を極める筆頭の「呼出」ともなれば、広々とした部屋に客の目を愉しませるための調度がいろいろと取り揃えられ、しかもどんどん豪華で(きら)びやかなものになっていく。

中でも、客との床入りに欠かせない「布団」には力が入る。

三代の公方(将軍)様(徳川家光)の御治世、九州で起きた大きな一揆がきっかけとなり、御公儀(幕府)はこれ以上切支丹(キリシタン)蔓延(はびこ)るのを恐れ、阿蘭陀(オランダ)(清国)以外の国との交易(つきあい)を御禁制にした。
以後、(ただ)でさえも物資の乏しい我が国にはいっそう物がない。

特に、日々の暮らしに欠かせぬ「綿」は百姓の綿花の栽培が追いつかず、手に入れるのに難儀した。たとえ、裏店(うらだな)(長屋)住まいの者のなけなしの煎餅(せんべい)布団であっても、質屋が質草にして用立ててくれるくらいの値打ちがある。

ゆえに、ふんだんに綿を使って幾重にもなった分厚い敷布団に身を委ね、色鮮やかな錦地のふっくらとした綿入れの打掛に廓で買った(おんな)(くる)まれて共寝(ともね)できるのは、どんなお大尽であろうとなによりもの「御馳走」となる。

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