それは誰かの願いごと




……諏訪さんと浅香さん、やっぱり結婚するんだ………

応接室で立ち聞きしてしまった内容では、浅香さんの海外異動が決まって、二人の間がギクシャクしてそうだったけれど……まるくおさまったんだ。

結局、わたしなんかが願わなくても、諏訪さんは幸せになれるんだ。
あんなに、浅香さんが海外に行くのを否定していたのに………

わたしは、何を期待していたのだろう。
一旦決まっていた結婚が、浅香さんの転勤によって白紙になることを望んでいたのだろうか。

二人のことを心から祝福できないにしても、破局を願っていただなんて、そんな醜い気持ちを抱いてしまった自分が、ショックで、情けなくて、腹立たしい。

でもそれが、きっと、”片想い” というものなのだろう。
綺麗事で済まされない感情の渦が心の底にあって、油断すれば、すぐにその中心に引き込まれそうになる。


『またね、和泉さん』


そう笑いかけてくれた諏訪さん。
親しげに、わたしの肩を叩いていった諏訪さん。
その距離は間違いなく縮まっていたはずなのに、最終的には、遠いままなのだ。

エレベーターで、息も忘れるくらいの想いをあふれさせたのが、遥か昔のように感じられた。


………ちょっと親しくされたからって、いい気になって。
だけどその一瞬は、浅香さんのことなんてどこかに行っちゃってた………


わたしは、こんなときなのに、ほとんど条件反射的に頬を触っていた。

エレベーターから降りてすぐに、”プラマイ0(ゼロ)” をやっておけばよかった。
そうしたら、今ほどのショックを受けなくて済んだのかもしれないのに。

わたしは、涙の出ない絶望というものを、はじめて知った気がした。
たかが失恋。だけど、絶望と言っても決して大げさでないほどの痛みが、確かに、今ここにあるのだから。


どうかもう、これ以上悪いことが起こりませんように。
痛みが、これ以上酷くなりませんように………


祈りながら、わたしは自分の頬をつねったのだった。









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