それは誰かの願いごと




「もちろん、無理強いはしたくないけど」

言いながら、わたしに手を伸ばしてきた郁弥さん。
その手は滑らかにわたしの髪を鋤いた。
そして、意図してか偶然か、郁弥さんの指先がわたしの耳をかすめて、ゾクリとしてしまった。

付き合いはじめてからのわたし達の関係は、時には一気に、時には徐々に、より深いものへと進化していた。
例えばこんな風に触れたり、顔を近付けたり、キスをしたり……

最初のキスは、郁弥さんが退院して、この部屋にはじめて通された日だった。

あのときも今みたいにソファに二人で並んで座っていて、会話が休符をおいた瞬間、郁弥さんの体温に包まれたのだ。


それからはここに来るたびにキスをしていた。
そしてその先に進む気配がありそうでなさそうな時間が続いているのだ。

郁弥さんは大人の男性だし、わたしだって未経験なわけでもない。
けれどわたしは、郁弥さんが退院したばかりだという条件下については無視できないでいた。おそらく郁弥さんも同じだろう。

だけど来週あたりからは郁弥さんも出社するようだし、ちょうど今日は金曜日だ。


「無理強いはしたくない。でも、オレがいつもみゆきのことを気にかけてるのは、ちゃんと知っておいてほしい。いつかみゆきがオレに言えるようになったら、聞かせてほしいと思ってることも」

郁弥さんのセリフが息かかる近さで聞こえる。

やがてキスが長くなっていって、郁弥さんの優しい手がわたしの体を辿りはじめると、もう、何も考えていられなくなった。
ただひとつ、郁弥さんのこと以外は。


「本当に、好きなんだ……」

「………っ!」

声にならない声が漏れてしまい、恥ずかしさが噴き上がってくる。
けれど郁弥さんはフッと喉の奥を緩ませたような息をこぼした。
そして

「ベッドに、連れて行ってもいい?」







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