それは誰かの願いごと
そして三人でエレベーターに乗ると、蹴人くんが突然わたしの腕をクイッと引っ張ってきたのだ。
わたしはフロアボタンを押そうとしていた手を止めて振り向いた。
「蹴人くん、どうしたの?」
「あんな、ぼく、このボタン押してみたいねんけど……」
蹴人くんが指さしたのは、わたしが触れているフロアボタンだった。
大路さんの自宅は3階で、蹴人くんの背の高さではそのボタンまでは届きそうにない。
わたしは蹴人くんとつないでる手をほどくと、「いいよ」と、蹴人くんを抱き上げた。
「ありがとう!」
蹴人くんはご機嫌に言って、小っちゃな指で3のボタンを強く押さえた。
「そんなに強く押さなくても大丈夫だよ」
後ろから郁弥さんが笑ったけれど、蹴人くんはまだボタンを押したままだ。
「だって、ぼく、ずっとこのボタン押してみたかってんもん」
3のボタンを見つめたまま返ってきたその答えに、わたしも郁弥さんも、ハッと思い知らされた。
そうなのだ。この子は、本当は、もう………。
だから、自宅マンションのエレベーターのボタンを押す、なんてごくありふれた普通の行為でさえ、蹴人くんにとっては全然普通ではないのだ。
……けれど、確かに今、わたしの腕の中には蹴人くんの感触があって。
わたしはいまだに、蹴人くんが本来ならここにいるはずない存在なのだということが、信じきれなかった。
なんともいえない感情が押し寄せる中、エレベーターは静かに閉まり、上昇していくのだった。