それは誰かの願いごと




少し離れた場所から、それもたった1秒ほどの短い時間の交わりだったけれど、わたしが諏訪さんを好きになるには充分だったのだ。

だけど、なにも、社内でもトップクラスだと評判の顔立ちや、モデルのようなスタイルに惹かれたわけではない。

ただ目が合った刹那に、わたしの感情が激しく波打ったのだ。

それがどういった類の感情だったのかは分からない。
けれど、よく表現されるような、”ドキッ” とか、そんな安易に形容できるようなものではなくて、わたしの心の中を根こそぎ持っていってしまうような、そんな、嵐のような1秒だった。


もちろん、わたしのことなんか知らない諏訪さんは、混乱しているわたしの気持ちなんか知る由もなく、すぐにサッと顔を逸らしてしまった。

それはごく当たり前のことなのに、わたしは逸らされたことにわずかに落ち込んでしまったりして、さらに感情が落ち着かなくなる。

やがて電車はわたし達の会社の最寄り駅に着いたのだが、なぜだかわたしは、諏訪さんとは別の改札に向かってしまった。
なんとなく、身を隠したかったのだ。

きっと諏訪さんは通常ルートで社に戻るのだろう。
わたしはその背中を探すこともなく、一目散に反対の出口に急いだ。
地上に出る階段を駆け上がっていくと、息が切れそうになって、心臓がドクドク叫んでいた。


外に出ると、そこには見慣れない街並みが広がっていた。
ただ出口を変えただけなのに、まるで全然違う景色が、わたしに、ほのかな緊張感を与えてくるようだった。


だけどその緊張感よりも、まだ激しく打ち続けている、わたしの心臓の叫びの方が、絶対に勝っていた。


そしてその叫びが、日頃の運動不足のせいなのか、それとも恋のはじまりの音なのか、その答えは、いつまで経ってもハッキリしないままだった…………










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