オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

「あの、明彦さん。さっき経営企画室の皆さんにもお伝えした事ですが、配属の内示が出たんです。私、正式に経営企画室の配属になりました。また、明彦さんの下で働けます! またどうぞ、よろしくお願いします」
 そうして地下駐車場を出てしばらくしたところで、月子が俺に向かい、弾む声で告げた。
「そうか、それは良かった。月子の働きには大いに期待している。また、よろしく頼む」
「はいっ!」
 月子はキラキラとした目をして頷いた。月子自身、経営企画室への配属を嬉しく思っているようだった。
 そんなやる気と気概に満ちた月子の姿が眩しくもあり、同時に頼もしくもあった。贔屓目を抜きにしても、月子は経営企画室で華々しい活躍をしてくれるに違いない。
 その後しばらくは、車内に静かな時間が流れた。しかし沈黙は、まるで苦痛ではない。
 会話などなくとも、月子と二人の時間は実に寛げる心地いいものだった。
「……明彦さん、私、なんてお礼を言ったらいいか」
 車窓から移ろう景色を眺めていた月子が、囁くように小さな声で、唐突にこんな事を言った。
「うん?」
「明彦さんが力を尽くしてくれなかったら、もしかしたら今頃就職浪人になっていたかもしれない。就職出来ていたとしても、家族の元を離れなきゃならなかったかもしれない。それが今、こんなにも好条件で就職が叶って、なにより目の前の仕事に対して心から頑張りたいと思える。これは全部、明彦さんのおかげです」
 月子はゆっくりと運転席の俺に首を巡らせると、運転中の俺の横顔を見つめ、感じ入った様子で言葉を重ねた。告げられた感謝の言葉は、感極まってだろう、僅かに震えていた。
 運転中の俺に、実際に月子の表情を見る事はかなわない。けれど脳裏には、月子が俺に向けているであろう熱く潤んだ瞳が、鮮やかに浮かんでいた。
 その時、ちょうど車がアパートに到着し、俺はゆっくりと路肩に停車した。シフトレバーをパーキングに切り替えて、助手席の月子にそっと目線を向ける。
 そうしてぶつかった瞳が湛える想像以上の熱量に、俺は一瞬、返す言葉に窮した。
「月子、前にも言った通りだ。月子の才覚ならば、我が社でなくとも引く手数多だっただろう」
 結局、俺の口を衝いて出たのは、こんな通り一辺倒な言葉だった。しかし、これ以上に言いようがなかった。
 俺の行動の裏にあるのは、気遣いや親切心といった綺麗な感情ばかりではないからだ。俺の本音の部分は、もっと邪な欲望めいた感情がとぐろを巻いている。
「それでも、私は明彦さんに感謝してもしきれません。いつか明彦さんが困った時は、私が精一杯力になります。もちろん、そんな日がくるとは思ってませんけど、……要は私の覚悟の問題です!」
「月子……」
 続く月子の真摯な言葉と、凛とした強い眼差しに、俺は吸い寄せられるように手を伸ばす。そしてその頬に、右手で触れ……、
「ねーちゃんがスッゲー車に乗ってる!」
「うっわ! なんだこのペッカペカなの!?」
「俺も乗りてー!」
 ……触れようとした瞬間、素っ頓狂な三つの声が上がる。ギョッとして窓に目線を向ければ、三対の目がジーッと車内を覗いていた。 
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