オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

「……ええ。そもそも父は、本気でラブホテルを目指したかったわけではないでしょう。父は単に、カップルでも夫婦でも、男女が他の目を気にせずに心ゆくまで寛げる場を作りたかったのだと思います」
 ホテル【ウル・フラージ】はまさに、そんな男女の思いに応える場所。
 最高級のもてなしで、大人の男女が寛げる都会のオアシス……。
「ははっ、まさにそうだろうね。若くして奥様を亡くしてからずっと独り身を貫いてきた会長に、再びの春が訪れた。とはいえ、OGAMIグループ会長という地位にあっては、なんやかんやと世間が騒ぐ。うかうか恋人と寛いでいるところを週刊誌のネタにでもされたらたまらないからね。ほら? この間、帝都ホテルの従業員が大物政治家の不倫密会を外部に漏らして大騒ぎになったろう。だったら人目を排除したラブホテルの方がましとでも思ったのが、今回の新規事業の発端じゃないかな。あの人、案外単純だからさ」
 そうか、父に意中の女性が……。
 東日本統括部長の口からサラリともたらされた内容は、実は、俺にとっては初耳だった。
 しかし、父の恋人の存在を聞かされたからと言って、別段どうという事もない。父も俺もいい大人で、互いの恋愛事情に首を突っ込むような野暮はしない。
 だが俺は、母亡きあと周囲から再三勧められる再婚話に首を縦に振らず、頑なに独り身を貫き通した父の背中を知っている。
 そんな父に、再びこの人と思える女性が出来たなら、それは俺にとっても慶事に違いなかった。
「そうでしたか。ホテル【ウル・フラージ】なら、父にも人目など気にせず恋人を伴ってもらえたのですが、如何せん開業は二年後と先が長い。もちろん開業後には、最初の客になってもらうつもりですが、父の事だ。その間には、女性を正式に妻として、屋敷に呼び寄せているに違いない」
「なに、たとえそうだとしても、息子がプロデュースしたホテルに招かれたら、親としては嬉しい限りだよ」
 父はこれまで帝都ホテルグループを利用していたが、今後父が帝都ホテルを利用する事は二度とないだろう。
 こういった信用問題は、社会的な地位を持つ上顧客ほどに嫌う。帝都ホテルはこれの信頼回復に、相当な時間と労力を有する事になるだろう。……いや、もしかすればこのまま立て直しが図れずに、幕引きとなる可能性すらある。
 それくらい、顧客情報というのは重要に扱うべき財産なのだ。これは、【ウル・フラージ】の営業においても教訓だ。
 ホテル【ウル・フラージ】は五つ星旅館にも負けない設備を整えた純和風のホテルだ。大人のカップルの利用を前提として、ファミリールームやトリプル、フォースベッドの部屋は供えない。ラブホテルと同様に、宿泊だけではなく休憩の仕組みも整える。
 しかし一般的なラブホテルのように、過剰に性欲を煽り立てる画像や道具類は敢えて排除する。上質で洗練された空間で、二人だけのゆったりとした時間を過ごしてもらいたいという思いからだ。
 そうしてプライバシーには徹底した配慮をしつつ、各フロアにはコンシェルジュを常駐させ、客の要求に常時対応できるようにする。
 顧客情報の取り扱いは厳重に管理して、従業員教育も徹底させる。その為のコストを惜しむつもりはなかった。
 これらを踏襲したホテル【ウル・フラージ】は、ラブホテルの枠を越え、広く大人の男女に重用される場となるだろう。
「あ、明彦君。僕のとこにも【ウル・フラージ】の招待券、ちょうだいね? 家内と行くから」
 真剣そのものの表情で招待券を乞うてみせる東日本統括部長もまた、なんだかんだで愛妻家だ。
「ええ。開業の折にはぜひ、ご夫婦でのご来館をお待ちしております」
 俺は愛し愛される夫婦の先輩に快諾した。


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