オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない


「あれ? 牧村さん、運野さんはどうした?」
 東日本統括部長と別れ、シャーベットアイスを手に戻った経営企画室に、月子の姿はなかった。
 午前は普通に出社していたはずだったが……。
 見れば、月子の席には私物の荷物もないようだった。
「運野さんなら午後半休で帰りました。緊急連絡先のお母様に連絡がつかなかったようで、弟さんの学校から運野さんあてに電話が入ったんです」
 チーフである牧村は、月子の家庭環境も知っていて、内定者アルバイトの時から月子の状況に目をかけてくれていた。
「弟に何かあったのか?」
 他県に働きに出ていた母親が戻ってからはなかったが、実はそれ以前には、月子は二度ほど弟の発熱を理由に早退した事があった。
「三郎君が体育の授業で跳び箱から落ちてしまったそうです。それ以上詳しい事は分からないんですが、三郎君は養護の先生に付き添われて中央病院に行っていて、運野さんもすぐに中央病院に向かいました」
 跳び箱から落ちた……? 打ちどころが悪くなければいいが……。
 これは病院に向かった月子も、さぞ心配している事ろう。
「そうか。牧村さん、すまんがこの後、俺も少し空ける。……いや、もしかしたら今日はもう社には戻らんかもしれん。何か急用があれば、携帯の方に入れてくれ」
 中央病院に緊急で向かうなら、おそらくタクシーを使ったはず。中央病院は駅から遠く、バスの本数も少なくて、交通の便が悪い。
 万が一、三郎が足でも痛めていたら、帰りも難儀するだろう。
「承知いたしました」
 牧村は俺の言葉にふわりとした笑みをのせて頷いた。
「あぁ、そうだ。それからよかったら、これを食ってくれ」
 デスクに置いていた鞄を左手に掴み、踵を返そうとしたところで右手に持ったままのアイスの存在を思い出し、ハンカチから取り出して牧村に差し出した。
「え? なんですか……って、まぁ! オフィスアイスじゃないですか。私これ、好きなんですよ。それじゃ、ありがたくいただきます」
 牧村はコロコロとした笑みでアイスを受け取った。
「そうそう、それから運野さんに、こちらは心配しないで大丈夫って伝えていただけますか? お願いしてあった資料が途中のままで帰るのを随分と気に病んでいたんですが、今週中に仕上げてもらえれば大丈夫なんです。そう、伝えてあげてください。それじゃ明彦専務、気を付けてくださいね」
「……あ、あぁ」
 笑顔で託された伝言に、牧村には俺の行き先など、とうにお見通しであった事を知った。



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