オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

「どういうことだ?」
「僕、ねーちゃんに早退させたの、これで三度目なんだ。母ちゃんが戻ってくる前にも、二回熱出してて……。会社にこんなに連絡いっちゃってて、ねーちゃんが会社でやり難くなってたりしないかなって思って」
「なに、それはあり得ない話だ。会社には、有給の制度がある。それは家事都合などで、個々が有効に活用していいものだ。だから月子が、家族の用件で半休を使って早退する事もなんの問題もない」
「……一年目の女子社員がそれをすると、お局さんに目を付けられちゃうんじゃないの? 僕、こないだドラマで見たんだ」
 三郎の続く言葉に、俺は思わず吹き出しそうになった。
「なに、笑ってるの?」
「いや、すまん。我が社には間違ってもそんな社員はいないし、有給を取るのにいちいち社員同士で牽制し合うような労働体系もしていない」
 三郎は安心した様子で表情を明るくした。
「なら、よかった。……あ、お兄さんも今日はわざわざ来てくれたんだよね? ありがとう。うーん、だけどお兄さんは偉い人だから、早退の一回や二回はまるっきり問題にならないか」
 三郎のこの台詞には、曖昧に微笑む事で応えた。
「それから三郎、月子は早退の際には上長に業務の進行状況を丁寧に報告して帰る。他にも、月子は手掛ける仕事を全て、とても丁寧に熟す。そんな月子のきちんとした仕事振りには、いい意味で皆が一目置いているぞ」
 俺が語った社内での月子の評価に、三郎は嬉しそうに笑みを深くして頷いた。
「それよりも三郎、君は偉いな」
「え?」
「自分が怪我で痛い思いをしている時に、姉の月子の心配をする。その配慮はなかなか出来るものではない、君は立派だ」
「……全然立派じゃないよ。立派だったらさっきの処置、叫ばないでじっとしてたもん。ほんと、恥ずかしいよ……」
 三郎は唇を尖らせて俯いた。
「はははっ! なに、俺も三郎くらいの年に骨折をしているんだが、俺は同様の処置で看護師を弾き飛ばして処置室を逃げ出しているぞ」
「え? お兄さんも叫んだの?」
「ああ、それはそれは大音量の叫びをあげて逃げたものさ。とはいえ、痛みに体が逃げを打つのは仕方のない事と、今でも当時の自分を恥ずかしいとは思っていない」
「そっか」
 三郎は納得した様子で、にっこりと笑ってみせた。
「お待たせしました」
 そうこうしている内に、会計を終えた月子が戻ってきた。
 月子が、財布と次回の予約券などを整理してる間に、俺は自分の鞄と三郎のランドセルを手に立ちあがった。
「よし、それじゃ三郎、アイスクリーム店に行くぞ」
「え、いいの!? 行くー!」
 俺の言葉に、三郎は目を輝かせた。
「よし! それじゃあ行こう」
「いえ、明彦さん。アイスなら、そこの売店で買いますから」
 すると、月子が横から俺の袖を引き、首を横に振った。
「いいや、月子。俺は処置を頑張った三郎を誘い、そして三郎は行くと答えた。だから俺は三郎とアイスクリーム店に行く」
 月子は少し困ったような顔をして俺を見上げていた。
「とはいえ、三郎だけを連れ回すわけにもいかん。月子も付き合ってくれないか?」
 俺は、袖を引く月子の手に、トンッと自分の手を重ねた。
 そうして細い指先を、キュッと手のひらに握り込んだ。
「明彦さん……」
 月子が頬を染め、気恥ずかしそうに俯く。
 そんな月子の姿は初々しくて、可愛くて堪らなかった。
 もしも今、俺と月子が二人きりであったなら……。そうしたら俺は、可愛すぎる月子を胸に抱き締めて、その唇の柔らかさが味わえたというのに。
 ここが大衆の目がある病院の待合室である事が、悔やまれてならなかった。
「ふふふっ。僕、なんのアイスにしようかな」
 そんな俺の思いを知ってか知らずか、三郎は軽い足取りで一人、病院の玄関ロビーに向かっててくてくと歩き出した。
「月子、行こう」
「はい」
 俺が月子の手をそっと引いて促せば、月子ははにかんだ笑みを浮かべて、コクンとひとつ頷いた。俺と月子は手を取り合って、三郎の後を追い玄関ロビーに向かった。


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