星空電車、恋電車

ーーーそして、私は大きなミスをした。

ついじっと見つめてしまっていたのだ。
樹先輩がふと顔を上げてこちらに目を向けた。

暗闇の中、人々の頭越しで離れているのにパチンっと音がしたんじゃないかって思うほどの衝撃でお互いを認識した。

樹先輩の目が大きく見開かれ、何か口が動いたように見える。

私の心に稲妻が走り、途端に私の身体の金縛りのような硬直が解けた。心臓が大きく身体の中で跳ね上がる。

逃げなきゃ。

私はクルっと背を向けると、他の人にぶつからないように気を付けながらも駆け出した。

「ちー」

背後で樹先輩の声が聞こえた様な気がする。
でも、それを確認するわけにいかない。
私はもう樹先輩には会いたくないし話もしたくない。とにかく足を止めるわけにいかない。

「ごめんなさい。すみません!」
小さい子供やお年寄りにぶつからないように声をかけながら走る。

「待って、千夏!」

今度ははっきりと樹先輩の声が聞こえた。

やっぱり樹先輩も私だと気が付いてしまったんだ。
どうしよう、本気で逃げないと。

元インターハイ短距離選手の樹先輩相手に普通に走ったら追いつかれてしまうのは当然だ。私も元インターハイ選手だったけど、今は膝に爆弾を抱えている身だ。
でもこの薄暗い人ごみの中で彼が私を簡単に捕まえられるとも思えない。人ごみの中でも公園の中の歩道を逆走して走る私は目立っていると思う。でも、いま足を止めるわけにはいかない。

「ちー!待って」

まだ離れているけれど、さっきよりも樹先輩の声が近くで聞こえるような気がする。

まずい、追いつかれちゃう。
そう思ってパニックを起こしそうになった時だった。

「それではそろそろ開始時間が近付きました。一段階ライトダウンしまーす!5分後にはさらに暗くなりますので皆さん今のうちに夜の闇に眼を慣らしておいてください。まだ移動中の方はお気を付け下さい!」

主催者のアナウンスと同時に大きな仮設照明の明かりがぽんと落とされて辺りは足元灯と外灯の明かりになり、辺りは薄暗くなった。
急な暗闇に目が慣れない。

これはチャンスだ。
運は私にある。

樹先輩も急な暗闇に目が慣れず、すぐには私の姿を確認することができないだろう。

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