音にのせて

第3話 波乱の幕開け

柊木野学園での初日を迎えた次の日、私は再び凌玖君と一緒に室井さんの運転する車に乗せられて登校した。
車から降りると、昨日と同じようにみんなの注目が一気に集中するのが分かる。
だけどそれは気にしないようにして、私はみんなの視線の中を校舎に向かって歩いて行った。

「おはよう」

後ろから聞こえてきた優しい声に振り返ると、真翔君が柔らかい笑みを浮かべながら立っていた。

「おはよう、真翔君」

笑顔で挨拶をした私とは逆に、凌玖君は真翔君に視線を向けただけでスタスタと歩いて行ってしまった。

「今日も相変わらずだな、西園寺は」

そんな凌玖君の態度に、真翔君は苦笑を浮かべた。

「…どうして真翔君は凌玖君にいつも話しかけられるの?」

私は1つの疑問を真翔君に投げかけた。

「どうしてって…親友だから」

迷いもなく笑って話す真翔君に、私は一瞬驚いてしまった。

「し、親友…?」
「そう。それに、俺、生徒会の副会長だから。生徒会長である西園寺を支える大事な右腕で…」
「誰が右腕だ」

話をしていた真翔君の言葉を遮るように、誰かの言葉が聞こえた。それと同時に、真翔君は後頭部を何かで叩かれたようで、痛みに耐えつつも叩かれた部分を手で抑えていた。

「急に何だよ、椎名《しいな》」

真翔君は後ろを振り返り、その人物へ恨みを込めた視線を向けた。
そこには、カバンを軽く持ち上げている男の子がいた。短髪の黒髪がよく似合っている、爽やかなスポーツマンのような男の子。
真翔君が「椎名」と呼んでいた彼は、仏頂面の表情で真翔君を見つめた。

「お前が嘘の情報を言うからだろ。副会長なんて名ばかりで、いつも仕事サボってばかりいるくせに」
「人聞き悪いなぁ、椎名君。それに、サボってるんじゃなくて休息だよ、休息。人間、ちゃんと休むことも大事な仕事の1つだよ。同じ生徒会役員の君なら、その重要さが分かるだろ?」
「休息するぐらいお前は仕事してないだろ」
「酷いな~。これでもちゃんと真面目にやってるのに」

溜め息混じりに言った椎名君の言葉に、真翔君はわざとらしく肩を落とした。

「ところで、アンタ見ない顔だな」

そこで椎名君は、真翔君の隣りにいた私へと視線を向けた。

「あ、あの…初めまして…。昨日転校してきた西園寺奏です」

私が自己紹介をすると、椎名君は驚いた表情を向けてきた。

「西園寺って…もしかして、お前が…!?」
「まぁ、今学校中の話題になっているからね。椎名も噂くらいは耳にしてるだろ」

真翔君が言った言葉は大げさにも聞こえるかもしれないが、生徒の反応を見れば納得がいく。
それほど、凌玖君は学校に影響力があるんだろう。

「あ、俺、椎名恭介《きょうすけ》。西園寺と一緒に暮らすなんて大変だろ。アイツ愛想無いからな。まぁ、何かあったら言えよ。俺で良ければ相談くらいは乗るからよ」

そう言ってニコリと笑った椎名君の笑顔は、とても温かく感じた。
さっきまでは仏頂面だったこともあり、少し怖い人なのかと思っていたけれど、頼りがいのあるお兄さんのような印象を受けた。

「女の子にそんな優しい言葉をかけるなんて、椎名にしては珍しい~。さては、奏ちゃんを口説こうとしてるとか…?」
「お前と一緒にするな!」
「心外だなぁ。俺は口説こうとしてるんじゃなくて、全ての女性に優しく接してるだけだよ」

そんな真翔君と椎名君のやり取りを見ながら、私達は校舎へと向かった。





校内に入ると予鈴のチャイムが鳴り始めた。バタバタと急ぐ生徒の足音が騒がしく聞こえる。

そんな中、私は自分の下駄箱の中を見た瞬間、体が凍りついたように固まった。
そこには、無残にも切り裂かれている自分の上靴と、一枚の紙が入っていた。

「どうかした?」

私の様子に気付き、既に靴を履き替えた真翔君は私の下駄箱の中を覗いた。

「早速、か…」

真翔君は小さく溜め息を吐きながら、呟くように言った。

「どうかしたのか?」

そこに、椎名君もやってきた。

「これ」

真翔君は私の下駄箱を指差すと、椎名君も中を覗いた。

「うわ…ひでぇな、これ…」

それを見た椎名君の表情も一気に硬くなった。

「『凌玖様に近付くな』…か。いつかはくると思ってたけど、こんなに早くくるとは思わなかったな」

真翔君は中に入っていた紙を見ながら言った。

「おい、大丈夫か?」
「あっ…うん…」

私は椎名君の言葉でやっと我に返った。
しかし、下駄箱の中に未だ入っている切り裂かれた上靴を見ると再び心の中に冷たいものが溢れてくる。

不安…

悲しみ…

怒り…

恐怖…

そういったものが一気に入り混じって、私の心を冷たく凍らせていく。

“今までも西園寺に近付こうとする女の子は、みんな学校中の女子から標的にされて、嫌がらせを受けていた。奏ちゃんは一緒に住んでるから、変に誤解されるかもしれない”

私は昨日言っていた真翔君の言葉を思い出した。

「とりあえず、今はスリッパを借りに行かないと。一緒についていくよ」
「ううん、大丈夫。一人で行けるから、先に教室へ行ってて。ありがとう」

私は真翔君達に別れを告げ、職員室へと向かった。





職員室からスリッパを借り、教室に入ってい行った私を待っていたのは、女子達の冷たい視線だった。
この人達も全員敵ということなのだろう。
私はそんな視線を無視しながら自分の席についた。

「大丈夫だった?」

そんな私に、隣りの席の真翔君が声をかけてくれた。

「うん…。大丈夫だよ」

笑顔で答えた私を見て、真翔君はますます心配そうな表情で見つめてきた。

その時、ちょうど私の横を凌玖君が通った。
凌玖君は私の履いているスリッパに一瞬だけ視線を向けたが、そのまま何も言わずに通り過ぎた。

「おい、西園寺。お前どうにかなんないのか?」

そんな凌玖君に真翔君は声を投げた。

「これ、お前のファンの子達がやってるんだぞ」
「だからどうした?そいつらが勝手にやってることだろ。俺には関係無い。それに、こういうのは実際に実行している所を押さえないと、言い逃れされて終わるんだよ」

それだけ言うと、凌玖君は自分の席へと向かった。

「おい、待て!」
「いいよ!」

追いかけようとした真翔君を、私は止めた。

「いいよ、真翔君…」
「だけど…これは奏ちゃんのせいじゃないのに…」
「でも、凌玖君のせいでもないし…。だから凌玖君を責めないで」

真翔君は納得いかないような表情を見せていたが、ちょうど先生が入ってきたため、真翔君もそれ以上は何も言わなかった。





「奏さん、ちょっといいかしら」

昼休み、私は10人程の女生徒に囲まれた。
用件なんて分かりきっている。
でもこの人数を相手に逃げることもできないと思い、私は彼女達に従った。



彼女達に連れてこられた場所は、恐らく校舎の裏庭だろう。
私は壁に追いやられ、それを彼女達が囲むように私を冷たい目で見ていた。

「奏さん、あなたに1つお願いがあるのだけれど」

そのうちの1人が私の目の前に立ち、薄く笑みを浮かべながら言った。

「あなた、凌玖様の家から出て、凌玖様との関係を切っていただけないかしら」
「そんなの、できません…。そもそも、どうしてあなた達がそんな事言ってくるんですか?」
「目障りなの。今までただの庶民だった人が凌玖様の隣りにいるなんて。凌玖様の品格が落ちてしまうわ」
「これは、家族の問題です。あなた達にどうこう言われる筋合いはありません」

――恐い。
彼女達の冷たく笑いながら見つめてくる視線。
自己中心的な話。
この人達の思考は凌玖君が中心、いや、自分達の理想の凌玖君であってもらうため、誰のものにもならないようにするための歪んだ独占欲なのだ。
彼女達の威圧に負けてしまいそうになる気持ちを奮い立たせ、私は彼女達と対峙した。

「…やっぱり、痛い目に合わないと分からないのかしら」

急に何人かが私に近付いてきた。

「…っ!いや…!!」

逃げようとするも背中は校舎の壁、そして私を取り囲んでいる女子達。逃げることなんてできず、私は両手を片方ずつ押さえつけられた。

「いや!離して!!」

パンッ!

1人の女が、私の左頬に平手を食らわした。
一瞬思考が停止したが、叩かれた左頬にじわりじわりと痛みが走る。

「あなたがいけないのよ。素直にお願いを聞いてくださっていれば、こんな痛い目に合わずに済んだのに」

そう言いながら、他の女子達も殴ったり、壁に叩きつけたりしてきた。



どれくらい殴られたか分からないが、私は体中に痛みで自分の力では立っていることができず、その場に膝をついた。

「どう?お願いを聞いてくれる気になったかしら」

1人が私の髪を掴んで上を向かせながら言った。

「…バカみたい…」

もう抵抗する力は残っていない。
でも、私は最後の力を振り絞るかのように、彼女達を睨んで言った。

「凌玖君があなた達に頼んだわけでもないのに、こんなことして…笑っているあなた達はどうかしてる…!」
「…まだそんなことが言えるのね」

私を掴んでいた女は空いている手を大きく上に振り上げた。
次にくる痛みに耐えるべく、私は目を固く閉じた。

「いい加減にしろ、てめぇら」

その声にハッとし、私は声のした方向を見た。
壁に背を預けながら、腕を組んでこちらを見つめている碧い瞳、凌玖君がいた。

「あ…凌玖…様」

彼女達は凌玖君を見るなり、驚きと焦りの表情をしていた。

「いつも影で好き勝手やってくれたな。それ以上そいつに手出すっていうなら、俺が容赦しねぇ」

凌玖君は冷たい声で言い放った。

「どうして…どうして凌玖様がこの女を助けて…」
「黙れ!」

騒ぐ彼女達は凌玖君の声で静められた。
彼女達は肩を震わせ、怯えるように凌玖君を見つめていた。

「もう一度言う。こいつに二度と手を出すな。今度こんなことしやがったら、俺様がお前らを地獄に送ってやる」

冷たい瞳で言い放たれた言葉に彼女達は怖くなったのか、その場から逃げ出した。

私は一気に体の力が抜け、その場に倒れ込んだ。

「ど…して…」

私は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、彼に尋ねた。
今まで無関心だった凌玖君が、私を助けてくれた。
その理由を、どうしても聞きたかった。

「単なる気紛れだ。まぁ、今回はお前も好きで俺と関係をもったわけじゃないからな。それに、これ以上酷くなると親父達も騒ぎ立てる可能性もある。そうなると面倒だからな」

彼はただ淡々と話すだけで、その表情からは何も感じることができなかった。
それでも、凌玖君が助けてくれたことは事実。

「…ありがとう」

そうお礼を言った私に、凌玖君は視線を向けた。

「…人間は自己中心的な生き物だ。自分のためなら相手を傷付けることも、嘘を付くことも平気でする。それなら誰も信用せず、自らの力で生きていくしかない」

ポツリと呟くように話した凌玖君の言葉。
瞳はまっすぐ私を見ているはずなのに、その中には私を映していないようだった。
そして、その言葉はまるで自分に言い聞かせるているかのように聞こえた。

「…傷付けられたこと…あるの…?」

私の言葉に、凌玖君はハッとしたような表情をした。
きっと、彼も無意識に言った言葉だったのだろう。

「…お前には関係無い」

そう言って、また凌玖君はいつものように私を冷たく引き離した。
「これ以上は深入りするな」と、彼の碧い瞳が言っているかのようだった。

凌玖君は私に近付くと、軽々と私の身体を抱き上げた。この体制は所謂お姫様抱っこというものだろう。
凌玖君に抱き抱えられている恥ずかしさに、一気に顔に熱が集中していくのが分かった。

「り、凌玖君!?」
「黙ってろ。このまま置いてくわけにもいかないからな。保健室に連れてくだけだ」

凌玖君はそのまま歩き出した。
言葉は冷たいのに、彼の体温はとても温かく感じた。
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