Stockholm Syndrome【狂愛】
バレンタインデーの浮かれた雰囲気も抜けた土曜日、ニュースで最低気温が一桁になるとは言っていたけれど、玄関を出ても寒さを感じることはなかった。
普段はめったに使うことのない車のエンジンをかけ、慣れない道を走って彼女が通るはずの通学路で待つ。
部活に熱心な彼女は休日にも限らずに高校へと足へと運ぶから、きっと今日も姿を見せるだろう。
その美しい黒髪を、ゆるくなびかせながら。
防犯カメラもなく、普段は人通りもない公園沿いの狭い道路。
雨はしとやかにフロントガラスを濡らし、僕の計画を後押ししてくれているように思えた。
そうして、彼女はやってきた。
首には白いマフラーを巻き、右手に通学鞄を、左手に真っ赤な傘を持って。
心臓が強く脈打つ。
彼女への思いが、はち切れて、はち切れて、今にも溢れ出しそうだった。
彼女が僕の横を通ろうとする。
その瞬間に、運転席のドアを開けて道を塞ぐ——。
「少し、道をお聞きしてもいいですか?」
突然に道を断たれた彼女はやや驚いたそぶりを見せ、僕を眺めた。
揺れるブラウンの瞳に愛おしさを感じながら、僕は彼女に笑いかける。
「この近くに、確か図書館がありましたよね。よければ道を教えていただきたいのですが」
「……図書館が開くの、九時からですよ」
彼女はまだ戸惑った様子を見せながらも、鈴を転がしたような可愛らしい声でそう言った。
知ってるよ。
そう言いたくなるのを抑えて、なおも僕は警戒心を持たれないために笑顔を作り続けた。
「友達と待ち合わせをしてて。多分図書館の近くに住んでるんだと思うんですけど、迷ってしまって」
……自分の顔は、好きじゃない。
でも、こんな時、警戒心を持たれないためには、僕の顔は役に立つ。
……整っているらしい、この顔は。