Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~
莉子は慌てて階段を降りていた、早く尊の視界から逃れたかった。 触れられるのは恥ずかしい……でも、何もされないのも淋しいと思う姿など見られたくなかった。

階段を降りきって、安堵する。 美味しい食事にお腹が満たされ、尊と逢えた事によって心が満たされたのをじっくり感じて自然と笑みがこぼれる。
小さく深呼吸をしてから、顔をくいと進行方向となる右手へ向け歩き出した。
早く家に返って仕事をしたい、今ならいい音楽が溢れてきそうだった。

そんな莉子の背を物陰から見つめるのは、藤堂拓弥の学友の一人、橋本光だ。


***


十月下旬、寒さが少し身に沁みるようになった頃。

尊が出勤してくると、一階の和食の店『無房』の前に人がたむろしていた。 店主の老人である坂上と、元町商店街の理事、そして二人の警察官がなにやら話し込んでいる。

「おはようございます」

尊が声を掛けると、坂上が顔上げた。

「おお、藤堂君、おはよう」
「どうかしたんですか?」

皆の表情からも楽しいことがあったのではない事は判った。

「ボヤが出てね」

理事長が言った。

「ボヤ?」

見ると、和食店の入口の引き戸に焦げた跡があった。シャッターはない、木製のサッシが燃えたようだった。

「通行人が見つけてくれて、すぐに消してくれたんだけど。消防署にも連絡してくれて、一応現場検証をしてくれたんだが、まあ……不審火らしくて」
「不審火?」
「当初は煙草の投げ捨てかと思ったのですが」

今度は警察官が声を上げた。

「煙草自体はあったんですけどね。可燃性のオイルの痕跡もあったんです」
「──バリバリ、不審火ですね」
「特に引火するような葉っぱや紙くずがあるわけでもないのに、よく燃えてましたから──酔っ払いの可能性もありますが、今、防犯カメラの映像を精査しておりまして」
「妙な愉快犯だったりしたら困るからね。君のとこも十分気を付けて。燃えそうなものは外に出して置いたら駄目だよ?」

理事長の言葉に尊は頷く。

「判りました」
「戸を交換するのに、二、三日かかりそうなんだ」

坂上が言う。

「しばらくうるさかったりするかも知れないけど」
「はい、大丈夫です」

尊は笑顔で返事をして会釈で挨拶に代えると、スチール製の階段を上がっていく。
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