うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-

 もうすぐ劇が終わるだろうか。劇が終われば体育館に明かりが点き、生徒たちが校庭に出て花火がはじまる予定だ。まだ体育館が暗いことから劇は終わっていないようだが、時間的にはそろそろだろう。

 こうして剣淵と二人で話しているのもあと少しなのかもしれない。普段こうして向き合って話すことがなく、ゆったりと流れるこの時間は希少なものである。まもなく終わるのかと思うと寂しい気がした。

「日曜日のこと、だけど」
「あ?」
「あの日なんで、駅前にきたの?」

 黙ったまま終えてしまうのが嫌で、なにか話題はないかと思ったのだ。そこで浮かんだのが日曜日のことだった。

「特に理由はねぇよ。ランニングついでに買い物行こうとして、そこで見かけただけだ」
「普段から走ってるの?」
「まーな。体動かしてりゃ嫌なこと忘れられっから」
「それなら陸上部に入ればよかったのに。あんなに足速いのに、もったいないよ」

 よく陸上部の生徒から入部スカウトをされている姿を見るが、なぜか剣淵は断っていた。陸上部だけでなく、どの部活に対しても同じである。頑なに断り続け、転校してきてから今日まで帰宅部のままだ。なぜ部活に入らないのだろうと疑問に思っていた。どのスポーツでも活躍できるだろうに。

 今日も、佳乃の言葉に対して剣淵は首を横に振った。部活に入らないのだと固い決意が窓に向けられたまなざしに宿っている。

「俺は、確かめたいことがある。だから部活にかける時間はねぇんだ」

 部活に入らない理由として返ってきたのは、意外なものだった。

「そのために転校してきたし、そのために一人暮らしもした。大学に進むまでのこの時間が、ラストチャンスなんだ」

 その『確かめたいこと』というのが気になって、剣淵から視線を外せない。窓から見える校庭や体育館よりもずっと遠く、佳乃にはわからないものを剣淵は見ているのだろう。それを眉根を寄せて睨みつけながら、剣淵は続けた。

「走ったり体鍛えたりすんのは『後悔したくないから』だ。同じことが起こった時、今度は助けられるように逃げ足だけは速くなってやろうって思ってな」
「後悔するような出来事が、あったの?」
「まあな――その時のことを確かめたいんだ。だから部活なんてやるヒマはねーんだよ」

 まっすぐ、だと思った。ここにいなければ知ることがなかっただろう剣淵が隠していたもの。それはまっすぐ伸びてきらきらと輝く、けれど情熱を秘めているのだ。呪いと片思い。そればかり考えていた佳乃には剣淵の求めるものが眩しく思えた。

「おい。劇が終わったぞ」

 その声に呼ばれて外を見れば、体育館に光が点いていた。ついに伊達の姿を見ることができないまま、劇は終わってしまったのだ。
 生徒たちはぞろぞろと校庭に出てくる。目当てにしている花火が終われば生徒たちは各教室に戻ってきて就寝の準備をする。そして朝になれば解散だ。つまりこの花火が合宿のラストイベントでもある。

 もうすぐ、剣淵との時間も終わるのだ。
 肉体的な距離は何度も近くまで迫ったのだが、今日ははじめて心が近づいた気がする。触れることのできた真意はほんのり温かく、教えてもらえたことが嬉しくて、この時間が名残惜しいと思った。

「あの、さ」

 花火を待っているのだろう剣淵に声をかける。
 照れや恥ずかしさはなく、あるのは居心地のよさだけ。それは菜乃花と共にいる時の感情によく似ている。出会いがキスでなければ今頃は友達になっていたのかもしれない。

「話してくれてありがと」

 佳乃が言い終えると、外では花火のカウントダウンがはじまったらしく、かすかに声が聞こえてきた。

 十から減っていく数字。もうすぐこの教室も花火に支配されて、ゆるやかな時間は終わってしまうのだろう。
 向き合って話せる時間なんて珍しいのだから、気の利いたことを一つでも言えばいい。わかっているのに、寂しさが生みだす切なさで締めつけられて言葉が浮かんでこない。


 佳乃、そして剣淵も。縛りつけられたように動けず、声も出せず。
 そして、カウントゼロになると同時に、夜空に色鮮やかな花が咲いた。暗闇を晴らすように花火が打ちあがり、見る者の心を明るく染めていく。
 この時間も、花火も。きっと忘れることができないのだと佳乃は思った。その表情は合宿前に比べれば明るく、すっきりとしたものに変わっていた。

 花火の後に残るもの――火薬の匂いと視界を妨げる煙。それは衣服や身体に纏わりついて残り、花火の興奮から醒めてようやく気づくのだ。落とすには洗い流すしかない。例えば、六月の雨であるとか。
 一年生合宿の後にやってくるもの――爽やかに吹き抜けていく風に湿度が混ざる六月、それから体育祭。
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