うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-

 舞い落ちてくる小枝。見上げた時の夏の日差し。
 剣淵の姿を見ていたはずなのに、頭の奥がぼうっと熱くなる。佳乃の記憶が、夏の思い出が疼いて騒ぎだすのだ。


 確か、あの時の夏もこんな風に落ちたのだ――蝉の鳴く声に混じって、遠くの方から佳乃の名を呼ぶ声が聞こえていた。きっと彼は落ちてしまった佳乃のことを探していたのだろう。
 幸いにも怪我はなかったのだが、立ち上がることができなかった。落下していく恐怖が頭から離れず、足が竦んで動けない。このまま家に帰れず、おばあちゃんにも両親やこれから生まれてくる弟にも会えないのかもしれないと思えば、視界がみるみるうちに滲んでいく。

 でも、泣かないと約束をしたのだ。おばあちゃんの家に預けられて寂しさに毎夜泣いていた佳乃は彼と約束を交わした。

『泣くなよ。俺が遊んでやるからお前は一人じゃない』

 その言葉が浮かんで、泣いてはいけないのだと自分に言い聞かす。汚れた裾で零れ落ちそうだった涙を拭い、ふと顔をあげ――そして見てしまったのだ。呪いがはじまる不思議な光を。

 鮮烈に蘇っていく夏の記憶。その時に不思議な光を見た場所が気になって、佳乃は振り返る。夏の記憶をなぞるようにとったその行動は、思いもよらぬ眩しさを放っていた。

「え……?」

 咄嗟に声をあげてしまうほど、明るい光。気づいた瞬間、その光は一気に広がって佳乃を包み込む。周辺にあったはずの緑豊かな景色はどこにもなく、辺り一面は薄青い光の世界となってしまった。靴底から伝わっていた地面の感触は失われ、ふわふわと体が浮いている気がする。

「な、なにこれ」

 覚えている。あの時もこんな風に、不思議な光を見た。そして体の奥底をぎゅっと掴まれて縛り付けられるような、重たく嫌な言葉を聞いたのだ。
 だが今回は何も聞こえてこない。しかし代わりに、うっすらと甘い香りがする。ぼうっとしてしまいそうなほど甘ったるくて、夢中になる香り。


「三笠! おい!」

 両肩を揺さぶられ、剣淵の大きな声で我に返ると、あの不思議な光は消えていた。佳乃の足もあけぼの山の地面をしっかりと踏みしめている。

「何、ぼさっとしてんだよ」
「あれ……私っていま何してた?」

 気づけば剣淵は坂を降りきっていた。服のいたるところに葉や小枝をくっつけ、手には泥がついている。

「突っ立ってぼんやりしてただけだ。俺が何回読んでもぼけーっとしやがって、どっか頭でも打ったのか?」
「でもあの光は……」
「光? んなもんなかったぞ」

 先ほどの方角をもう一度見る。しかしそこは普段通りのあけぼの山だ。眩しいどころかじめじめとした空気が流れている。

「何か見たのか?」

 佳乃の反応から察したのか、剣淵はひどく真剣な顔をしていた。UFOの手がかりがあるかも、と期待しているのだろう。

「不思議な青い光を見た。見たってよりも包まれたとかその中にいた、が正しいかもしれないけど」
「まじかよ……他に変わったことは?」

 佳乃の言葉に剣淵はごくりと喉を鳴らし、絞り出された声はかすかに震えていた。その表情を見るに、剣淵にあるのは恐怖よりも長年求めていたものが近づいていたことに対する緊張だろう。

「光はすぐに消えちゃったけど……でも昔のことを思いだしてた」
「昔って、ここに遊びにきたって話か?」
「うん――昔ね、私がこの町で仲良くなった子がいたの。その子と『泣かない』って約束をしていたな、って」

 佳乃がそれを口にした瞬間、両肩を掴む剣淵の指先に力がこもった。そして佳乃の顔を確認するように近づく。

「お前、やっぱり――」
「い、痛い! 肩、痛いんだけど!」
「……っ、悪かった」

 めきめきと力が入って、それでなくても普段鍛えている剣淵の力だ。このまま両肩を握りつぶされてしまうのではないかと悲鳴をあげれば、慌てたように手が離れていった。

 そして改めて、剣淵が佳乃を見る。

「その約束、覚えてる。泣くな、一人にしない、ってやつだろ?」
「うん。そう、だけど」

 でも。佳乃の記憶にいるのは剣淵ではなく、伊達享だ。

 この約束は伊達と交わしたはずなのに、どうして剣淵がそれを知っているのか。頭の中がごちゃごちゃになって、訳がわからなくなる。

「……お前があの時のやつ、なのか?」

 身動きどころか呼吸さえも億劫になるほど強く見つめられて、混乱がさらに増していく。あの夏にあけぼの町で出会った子は伊達なのに、剣淵の鋭い眼光に晒されて、自信が失われていくのだ。

 本当は誰だったのだろう。伊達なのか、それとも剣淵なのか。

 だがほんの一瞬だけ。願ってしまった。

 佳乃自身もどうしてその願いが浮かんだのかわからない。無意識のうちに、喉をすり抜けて唇からこぼれる。

「剣淵、かも」

 そうだったらいいと、ほんの一瞬だけ、願ってしまったのだ。
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