諸々ファンタジー5作品
溶け入る身と心は今宵の夢・・





 愛する人を信じることが出来ず、自暴自棄になった。

ユウエン……“あなたは、いつだって自分勝手”なのよ。

湧き上がる悲しみに近いのは、失恋のような感情。

……きっと……この想いは、もっと他の感情。ちがう。好きになっていたなんて認めない。

何度も自覚した気持ちを否定し、自分の想いが不安定で悲しくて仕方がない。

実らない恋に、どうすることも出来ないもどかしさ。

これが現実……身を切り刻む様な喪失を痛感した。



 彼は優しいし、我儘を受け入れてくれる。

自分がリコリスなら、どれほどユウエンに救われたと感じるだろうか。

自分の身に纏うのは同族の印だ。それ以外に在り得ない。

種族の違う民を受け入れ、その身に受ける何かは不明。



 眩暈がする。

死を願う心が存在しながらも、生に執着して抗う。

思考は入り交じり、混濁と薄れ……暗転して途切れた意識。

もう駄目だと、あきらめて覚悟した。

そんな深い眠りに落ちつつも、どこかで沁み渡る感覚を味わう様な一時。

喉の渇きを癒す甘さ、漂う爽やかな香り。

力は抜けて、安らかな休息の眠りに誘われていく。



 どれほど寝たのだろうか。久々の朝日を意識して、目を開けた。

そこは天幕の中、身に被さる生地は異国の物。

命を長らえ、死と隣り合わせの状況に直面して、無意識で手を腰に当てた。

期待した物が手に触れることは無く、慌てて周りを見渡す。

天幕には人気が無く、隈なく探したが、ユウエンからもらった剣は見当たらない。

ここから逃げなければ。

命を救った人だとしても、私の剣を奪うなど、この周辺の戦を意識しているに違いない。



 人の気配と近づく足音に、出入り口が一つで逃場は無く、私は身構えた。

入って来たのは、年の近い若い男性。

優しい笑みだけど、やはり民族衣装は異国の物。

身に帯びている剣は、飾りではなく戦に適した長さ。



彼は口を開いて、私に話しかける。

しかし、何を言っているのか理解が出来なかった。

言葉が通じない。

これまでにないほどの恐怖が包む。



私は必死で叫び、身振りで剣を返す様にと告げた。

全身は震え、立っているのもやっと。

彼は私と距離を保ったまま、その場に座る。

そして、同じように座るようにと、地面に触れた。

私は力が抜けて、その場に崩れるように腰を落とす。目は、彼を睨んだまま。

そんな私を気にすることなく、手に持っていた手提げの布袋を開けて中身を取り出した。

器2つに皮袋から水を注いで、器を1つ、私が手を伸ばして届く位置まで近づける。

彼は器から水を自分で飲んで見せて、私にも飲むようにと身振りで示す。



器に毒が塗ってあるかもしれないじゃない。

そんな可愛げのない事を考えながら、どうせ身を守れる剣も無いのなら、死も同じだと水を口に含む。

それは甘く爽やかな香りで、以前に自分を救った物だと理解できた。

喉を勢いよく流れ込み、全身を癒す様に浸透していく。

村で飲んでいた水とは違う。加工されているのだろうか。



彼は満足そうに私を見つめ、指差して、外に出る事を合図する。

ゆっくり立ち上がり、私を見ないように素早く去って行く。

私たちの敵……じゃ、ないのかな。

偵察からの情報も無く村を飛び出して、無謀な事をした。

だけど、もう……あそこには居られない。

ここに留まるのも、状況から判断して村の為にはならないだろう。



後、少しだけ。

この心に悲しみが、まだ私を苦しめるから。

涙を堪えていたのに、内に満ちた水がすべて注がれる様に落ちていく。

これが地面に吸い込まれて消えていくように、私の想いも消えるはず。

いつか必ず癒える。

だって、私は意地悪なユウエンなんて好きじゃない。

私がリコリスのように、少しでも髪が長ければ……


「ふ……ぅ……うっ……っ。」


声を押し殺し、苦しい胸元の服を握り締めて蹲(うずくま)る。



 どれほど泣いただろか、近づく足音と人の気配。

気づいたけれど、身動きも出来ない程に悲しみで染まっていた。

殺すなら、そうすればいい。捕虜となるぐらいなら死んでやる。

こんな私を願う人など、いないだろうから。

もう……



ポタッ。ポタタ……



え?

水滴が地面に落ちる音と、自分の体に触れる軽い衝撃。

こめかみに触れた一滴が私の頬を伝って、滑り落ちた。

一瞬の熱と、体温を奪っていくように冷めていく一筋。

それは涙……



顔を上げ、目に入った光景に私は心を奪われる。

私の前に膝を付き、涙を零して見つめる切ない表情と、悲しみの籠った声。

自分は泣くのを止めているのに、彼の降り注ぐ涙が頬を伝って落ちていく。



あぁ、何て愛しい人なのだろう。

私は安心できる居場所を見つけた。彼の優しさの涙を受け入れる。

私自身を癒そうと、急かすように心に沁み込んでゆく。

あの水のように。





 数日を過ごして少しずつ増えていく彼の言語。初めて覚えたのは『水』だった。

彼への信頼に、近づく距離も縮まっていく。



この天幕の周辺には数人の兵士がテントで生活していた。

天幕の外に出ても、不便はなく生活に支障はない。

しかし、耳に入るのは分からない言葉だけれど、雰囲気や視線で感じ取る空気は冷たかった。

彼の名前『アスター』を覚え、その言葉と連なった語彙と情報も増えていく。



ある日、聞き取れたのは村の事。


「身・印・ある・人・すべて・殺した」


…………すべて。

聞き取れない言葉もあった。

だけど、村で戦に参加した多くが死んだ事実は覆らない。



ユウエンは、リコリスと結婚しても戦には参加しただろう……きっと、そんな気がする。

村に襲撃をかけたのだとすれば、戦に行っていなくても同じ。



 私は村に帰る決意をした。

アスターは、そんな私の様子を見て、何を感じたのだろうか。

今夜、星を見ようと、寂しそうな表情で誘う。

アスターは私を天幕に住まわせ、その間は別のテントで暮らしていた。

部下と同じ……彼の地位は王に次ぐとまでは行かなくても、かなり上位だろう。

もっと早く、言語を理解していれば……

後悔しても過去を変える事は出来ない。

仇討で、ここにいる彼らを殺しても無意味な気がする。



彼は、一つのテントに入り、私に剣を渡した。

それは、ずっと手元になかったユウエンの物。

感情が冷めたのかと思うほどに私は冷静で、受け取った剣を腰に帯びた。

彼の肩には布袋。何が入っているのだろう。



 手を差し伸べる彼。

今まで私に触れようとしなかったのに、眼は何かを探る様で、思わず心は揺らいで手を取ってしまう。

村とは違う痩せ細った土。

積み上げても崩れそうな、歩く足も少し沈み、降った雨もすべて呑み込みそうな地面。



天幕から遠く離れ、歩く方角は村に近づいたような気がする。

そこに布を広げ、彼は私に微笑む。


「座ろうか。」


私は驚いて、目を見開いたまま。


「ふ。言葉を覚えたのは君だけじゃない。ねぇ。最後に、名前を教えてくれるかな。」


最後……これが、別れになるのを知っていたんだ。

自分の言語で、彼と語ることになるなんて。


「私の名はラセイタ。」


「俺の名前はアスター。……ごめん。君を助けた時から、敵の種族だと理解していたんだ。」


なんとなく分かっていた。

あなたは、私に触れようとしなかったから。



なのに、何故……今、この最後に触れようとするの?

疑問は次から次に出て来るけれど、答えを望んでいないのか、言葉が出なかった。



違う。

理解を……思った以上の意思疎通を願った。

彼が私の言語を、どれほど理解しているか分からず、言葉を失う。


「ラセイタ、俺は自分の国がしている事が疎ましくて逃げた。その結果が、自分の知らない所で多くの殺戮。すまない……もっと早く自害すべきだった。自分の死で、国を巻き込み……収拾をつけるつもりが……」


何と簡単に命を絶つことを語るのだろう。

私の言語で……

生きることを諦めて死を願い、国を背負った人生を語る。



私はアスターを抱き寄せた。


「もういいわ、アスター。そんなに死を願うなら……私が、あなたを殺す。いつか必ず、あなたの命を奪うのは私。それ以外の死は赦さない。さぁ、代償は身にあなたの文様を纏う女性よ。捧げましょう……私、ラセイタを。」


優しい腕に導かれ、地面に敷いた布に寝転んで満面の星空と彼を見上げる。



ユウエンへの淡い想いは伝えることなく、失った恋。

その悲しみを癒したアスターは死を望む。

なら、私が殺す。



「苦しい。死を望んできた俺に刻んだ幸せが。……行って、夜明けと共に。
俺たちは敵。ラセイタ、君の纏う印に懸けて誓う。君の手にかかるまで死なないと。」


あなたが刻んだ……溶け入る身と心は今宵の夢……





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