マイ・フェア・ダーリン
ところが、

「ええ! 嘘でしょ?」

あっさり服を脱いだ廣瀬さんを見て、私のうっとりした気持ちは吹き飛んだ。

肩の筋肉がもりっとしてる!
腹筋って本当に割れるの!?
そもそもこれ、本物の人体!?
私は生まれて初めて“アスリート”という言葉を肌で感じていた(比喩じゃなくて!)。

「……これ何?」

胸の先端部には、両方とも絆創膏が貼られている。

「走ると擦れて血が出ちゃうんだ。だからいつもあらかじめ貼ってるんだけど、気になるなら取るよ」

ペリペリ剥がして、床にポイッと捨てた。

「身体、触ってもいい?」

「いいよ」

硬い……。
人肌というやわらかな響きを叩き潰すほどに硬い……。
背骨の線をなぞってみても、骨なのか肉なのか見分けがつかない。

「くすぐったい!」

「感覚あるんだ?」

「当たり前だよ」

「だって、硬くて触っても何も感じなそう。消しゴムみたいだもん」

ペタペタと触ると、泣きそうに顔を歪められた。

「ちゃんと感じるから、困ってるんだけどな」

「骨まで筋肉? 筋肉まで骨? 指が入っていかない」

「大袈裟だな。引退してからかなり太ったし」

誰か、この“太った”という単語を間違って覚えてる人に、正しい肥満を教えてあげてよ。

「これ以上痩せてたなんて、それただの栄養失調かスズメの焼き鳥だよ」

一度食べたスズメの焼き鳥は、肉感がほとんどなくてバリバリしていた。
私は断然普通の鶏の方が好きだ。

「体重は軽い方が明らかにタイムがいいんだよ。筋肉は落とさないように体重を減らすんだけど、俺は元々ガッチリした体型だから、そんなに細くはならなかった」

話を聞いていて油断していた私のニットの裾から、そっと手が侵入してくる。

「待ってーーーっ!!」

手を追い払い、ニットの中に脚まで入れて籠城する。

「無理無理無理無理! びっくりするくらい脂肪だから! 骨の髄まで脂肪だから! ウエストのサイドに厚い厚い物語が!」

「うん」

「廣瀬さんの10倍、いや100倍はあるから体脂肪率!」

「うん」

「クリスマスチキンを想像してみてよ。スーパーで売ってる安くて丸々としてて、なるべくぶにぶにしてるやつね。ほぼあれと同じ!」

「うん」

「三ヶ月、いや一ヶ月! それもダメならせめて一週間待ってーーーっ!」

もはや借金取りに対する訴えと何ら変わらない叫びを、廣瀬さんは真剣に聞いてくれていた。
……ように見えた。

「うん。じゃあ、手を上げて。はい、ばんざーい」

違った!
このタイミングで全部聞き流した!!

「いやああああ! しぼーーーーっ!!」



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