放課後の準備室、先生と。
一時間目
日常の非日常
・
先生なんて、嫌いだ。はっきりとそういって、心のなかでそう決意して____会わずに済む、筈だった。
だけど実際、私は学校をサボるなんて選択肢を選べないままに、朝を迎えた。
憂鬱な気分を引きずって、校門を潜る。悩みなんて何一つ無さそうに笑顔で通りすぎていく生徒たちを見ると、つくづく自分はついていないのだと思い知る。
いつも通り靴を履きかえ、教室に向かう。朝早く来る私に対して、クラスメイトの大半はチャイムギリギリに滑り込むように入ってくる。私は毎日、二十分程を、この暑苦しい教室で一人で過ごしていた。
昨日の二学期始業式。あそこまでが私の平和のピークらしい。
「おはよう」
誰もいないと分かっているのに、つい挨拶をしてしまう癖は治らない。
「おはよう、レイ。早いね」
今までの暑さがまるで嘘のようにひいた。背筋が凍るとはまさにこの事だ。
教卓の近くに置かれている椅子に腰掛けた先生が、私にひらりと手を振って寄越した。
瞬間的に逃げようとした私を、先生は立ち上がって肘を掴んで引き戻した。
「なんで逃げるの?」
「それは先生が嫌いだからで……」
肘をつかむ力が少し強い。思わず顔をしかめると、先生はその手を離した。
「昨日のことなら、僕はあのあとしっかり反省したんだよ?」
「……嘘つき」
「本当だって。レイに嫌いって言われて、ずいぶん堪えた」
先生の目は、昨日私に告白してきた時と同じ真剣さを孕んでいた。
「そんなこと言われても、私の気持ちは変わらないです」
「でも、避けられると流石に傷つくよ」
「じゃあ、なんで昨日、あんな……」
あんな風にいきなりキスしてきたんですか。そう聞こうと思ったけれど、思い出した瞬間に全身が熱くなった。当たり前に初めてだったのに、こうもあっさりと、捧げることになるとは思わなかったのだ。
まだ唇に、余韻が残っている。
先生は私が続きを言うことを待っていたようだが、やがて自分から聞いてきた。
「いきなりキスしたこと、やっぱり怒ってる?」
「……ッ、」
反射的に先生の方を見て、後悔してしまった。
先生があまりにも悲痛な面持ちでこちらを見ていたから。
「__昨日は、本当にごめん。もう二度と、レイの嫌がることはしないって約束する」
その真剣な雰囲気に気圧されるように、気がつけば私の口からはわかりましたと言葉がついて出た。先生はパッと顔を上げると、無邪気な笑みを浮かべながら、お礼を述べた。
「それで、どうしてわざわざクーラーの効いた準備室じゃなくて、ここにいるんでしょうか」
「レイは彼女なんだから、その彼女と少しでも長くいたいと思うのは普通じゃない?」
ああ、そうだろう。これが契約じみた関係ではなく、本当に好きだから付き合っているのなら。
だが、私と先生のこの関係は、仮初めの、恋人未満。
「……まあ一ヶ月すれば先生とは別れるんですから、どうぞお好きになさって下さい」
いつも通り席につくと先生は私の前の席にすかさず座って、私と向かい合った。こうして朝日に照らされた横顔は、なるほど好青年だ。さらりと流された黒髪と、白い首筋。ふっと目を伏せるとわかるまつげの長さ。テレビの中で、爽やかイケメン俳優と謳われていても不思議じゃない。
だけど、だから何だと言うのだろう。この男は私を半ば脅して付き合った上に、結局キスまでしてきたではないか。
「ね、レイ、今週デートしようよ」
「すみません、今週は勉強したいので」
「じゃあ来週は?」
「来週も、きっと勉強したくなるので」
先生はあからさまにため息をつく。諦めてくれただろうか?
「そんなに勉強したいならデート中でも僕が教えてあげるから、デートしようよ」
____この人は、狡い。私が断りづらくなるように誘導してくる。
「分かりました、一回だけですよ」
かくして今週の日曜日に嫌いな男とのデートという予定が入ってしまった。
先生は必要だからといって私の連絡先を手にすると、嬉しそうに笑った。心臓が一瞬、高鳴る。
この人は、先生。好きになってはいけない人。
「デートするのはいいんですが、ばれるかも、とか、考えないんですか?」
先生は軽く首をかしげると、私の目を真っ直ぐと見て、言った。
「教え子に恋してるんだから、それくらいは覚悟のうちだよ」
じゃあ、またね、と先生は笑って去っていく。その後ろ姿はあまり頼りがいが無さそうなのに、先生は将棋のプロなんかよりずっと多くの手数を読んでいる。策士だ。
不意に鼻腔をくすぐる、煙草の香り。銘柄なんてまるでわからないのに、ただなんとなく、私は懐かしいと思ってしまった。
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先生なんて、嫌いだ。はっきりとそういって、心のなかでそう決意して____会わずに済む、筈だった。
だけど実際、私は学校をサボるなんて選択肢を選べないままに、朝を迎えた。
憂鬱な気分を引きずって、校門を潜る。悩みなんて何一つ無さそうに笑顔で通りすぎていく生徒たちを見ると、つくづく自分はついていないのだと思い知る。
いつも通り靴を履きかえ、教室に向かう。朝早く来る私に対して、クラスメイトの大半はチャイムギリギリに滑り込むように入ってくる。私は毎日、二十分程を、この暑苦しい教室で一人で過ごしていた。
昨日の二学期始業式。あそこまでが私の平和のピークらしい。
「おはよう」
誰もいないと分かっているのに、つい挨拶をしてしまう癖は治らない。
「おはよう、レイ。早いね」
今までの暑さがまるで嘘のようにひいた。背筋が凍るとはまさにこの事だ。
教卓の近くに置かれている椅子に腰掛けた先生が、私にひらりと手を振って寄越した。
瞬間的に逃げようとした私を、先生は立ち上がって肘を掴んで引き戻した。
「なんで逃げるの?」
「それは先生が嫌いだからで……」
肘をつかむ力が少し強い。思わず顔をしかめると、先生はその手を離した。
「昨日のことなら、僕はあのあとしっかり反省したんだよ?」
「……嘘つき」
「本当だって。レイに嫌いって言われて、ずいぶん堪えた」
先生の目は、昨日私に告白してきた時と同じ真剣さを孕んでいた。
「そんなこと言われても、私の気持ちは変わらないです」
「でも、避けられると流石に傷つくよ」
「じゃあ、なんで昨日、あんな……」
あんな風にいきなりキスしてきたんですか。そう聞こうと思ったけれど、思い出した瞬間に全身が熱くなった。当たり前に初めてだったのに、こうもあっさりと、捧げることになるとは思わなかったのだ。
まだ唇に、余韻が残っている。
先生は私が続きを言うことを待っていたようだが、やがて自分から聞いてきた。
「いきなりキスしたこと、やっぱり怒ってる?」
「……ッ、」
反射的に先生の方を見て、後悔してしまった。
先生があまりにも悲痛な面持ちでこちらを見ていたから。
「__昨日は、本当にごめん。もう二度と、レイの嫌がることはしないって約束する」
その真剣な雰囲気に気圧されるように、気がつけば私の口からはわかりましたと言葉がついて出た。先生はパッと顔を上げると、無邪気な笑みを浮かべながら、お礼を述べた。
「それで、どうしてわざわざクーラーの効いた準備室じゃなくて、ここにいるんでしょうか」
「レイは彼女なんだから、その彼女と少しでも長くいたいと思うのは普通じゃない?」
ああ、そうだろう。これが契約じみた関係ではなく、本当に好きだから付き合っているのなら。
だが、私と先生のこの関係は、仮初めの、恋人未満。
「……まあ一ヶ月すれば先生とは別れるんですから、どうぞお好きになさって下さい」
いつも通り席につくと先生は私の前の席にすかさず座って、私と向かい合った。こうして朝日に照らされた横顔は、なるほど好青年だ。さらりと流された黒髪と、白い首筋。ふっと目を伏せるとわかるまつげの長さ。テレビの中で、爽やかイケメン俳優と謳われていても不思議じゃない。
だけど、だから何だと言うのだろう。この男は私を半ば脅して付き合った上に、結局キスまでしてきたではないか。
「ね、レイ、今週デートしようよ」
「すみません、今週は勉強したいので」
「じゃあ来週は?」
「来週も、きっと勉強したくなるので」
先生はあからさまにため息をつく。諦めてくれただろうか?
「そんなに勉強したいならデート中でも僕が教えてあげるから、デートしようよ」
____この人は、狡い。私が断りづらくなるように誘導してくる。
「分かりました、一回だけですよ」
かくして今週の日曜日に嫌いな男とのデートという予定が入ってしまった。
先生は必要だからといって私の連絡先を手にすると、嬉しそうに笑った。心臓が一瞬、高鳴る。
この人は、先生。好きになってはいけない人。
「デートするのはいいんですが、ばれるかも、とか、考えないんですか?」
先生は軽く首をかしげると、私の目を真っ直ぐと見て、言った。
「教え子に恋してるんだから、それくらいは覚悟のうちだよ」
じゃあ、またね、と先生は笑って去っていく。その後ろ姿はあまり頼りがいが無さそうなのに、先生は将棋のプロなんかよりずっと多くの手数を読んでいる。策士だ。
不意に鼻腔をくすぐる、煙草の香り。銘柄なんてまるでわからないのに、ただなんとなく、私は懐かしいと思ってしまった。
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