🍓夫の溺愛(大学教授の場合。)

美奈家を出る




百武ー郎太、30歳 美奈は今年
高卒の18歳今度5月で19歳、
彼とは公園で知り合った。


母は私を18で生み仕方なく父親
と、一緒に結婚をした。


父親は何故ビッチの母親に、手を
出したのか?しかも母は5歳下と
言うのに?

ずっと美奈は不思議だった。


父親によると、朝起きたらホテル
にいて母親と抱き合って
寝ていた・・・と、
頭が良く、包容力があり
勤勉な父親は
はめられたと私は思っている。



多分DNA鑑定を申し出されたら
託卵が、ハッキリと分かるだろう。


母は、多分カッコウと同じ方法で
娘を育てる、立派な決断を
したんだろう。


父親は頭がいい!それくらいは
分かるはず
だけどそれをしないのは私が
未婚で生まれどうやって育つのか
心配なせいだろう。
私への同情
そして育ての父親としての
使命感、父親は温かい。

そう

私のせいで父親は人生を棒に振った。
もう自由にしてあげたい。
離婚は私が15才の時で既に
三年過ぎた。
正直大学に行きたかったが
父親にも
迷惑かけたく無かったのが本音


離婚をきっかけに母親は、
夢だったパテシエの道に
飛び込んでいった。


父親は、昔母との婚姻で
引き裂かれる要に別れた彼女と、
偶然出会い寄りを戻した。


離婚の原因は、
父親の有責だった。


母親とは、もう夫婦関係は
破錠していたし
一緒にいる意味など、
何処にもなかった。

父親は私を引きとるつもりで
いたらしいが、
私は寮のある女子高を受験した。
そしてめでたく卒業。

もう父親とも母親とも連絡を
絶ち、両親から逃げるように
家出同然に東京に出て来た。

自分が二人の人生を壊して
しまった。
罪の深さから逃げ出したかった。

バイトで貯めた、
僅かなお金だけを持って。

どちらに付いて来ると
母に聞かれ、父親と暮らしたいと
思ったけど・・・

父親は父親ではない気がして、
これ以上迷惑はかけたく
なかった。

父親とはベッタリとくっついて
育った。父はいつも私を抱っこ
しながら頭を撫でて呪文のように
言ってた。


「私の娘だ!なあ美奈。」


小学校六年生になった頃のある日、
父は私を前に立たせて、確認する
ように私に言った。


「美奈は私の娘だよな!! 
な!!美奈。」


その時から父親に何一つ
似ていない自分に気づいた。

だから父親に似ようと
勉強も頑張ってトップになった。


パパに似てると思わせたくて
事実皆言っていた、美奈ちゃんは
パパ似だねって
そう努力して大嫌いな勉強を
頑張った。


父親が興味有ることには自分も
興味を持った。

でも疲れてしまっていた。
父の頭にはついていけない。
パパは賢い。


「もう、
いいんじゃないかな!! 」

マメを植えてもトマトは
できない。
トウモロコシを植えても
スイカはならない。

マメを植えたらマメ
トウモロコシはトウモロコシ。


私は母の娘ってことは
母親みたいにしかならないんだ。


それから父親と母親は別居した。


高校を卒業して
暫く家にいたが、父親の彼女が
度々泊まり込むよう
になり私は家を出た。

そして、高校は寮だったけど
15歳まで育った我が家に
別れを告げた。
それから女子校の寮に入り
三年間過ごした。

そして卒業までのわずかな
日々を父親と二人で
すれ違いではあるがバイトを
したりして過ぎていった。
いよいよ家を出る!

アスファルトの道から
振り返り見た家だけは
何も言わずただ見送るように
建っていた。
18年ありがとう。


    もう、帰れないよ!
    もう、サヨナラだよ!


胸をえぐるような虚しさが心を
支配していた


「パパ、ごめん!
幸せになって下さい。」
ポッンと呟く。
三月の風は未だつめたい。
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