氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
百鬼夜行から戻って来た朔は、古くから家に仕えている伊能を連れていた。

幽玄町まで迎えに行かせていた朧車と途中で合流したらしく、いかにも切れ者の相の若い伊能は、すでに何通かの文を持参していて胸を叩いた。


「人とのやりとりは私にお任せ下さい。委細この伊能にお任せを」


「任せた。俺たち妖はあの泉に近付くことができないから、お前に全てを託す」


伊能は目が合って手を挙げた氷雨に丁寧に頭を下げた後、そんな氷雨を目の端でちらちら窺っている朧の前で正座して同じように頭を下げた。


「なんとお労しい…。あんなに慕っておられた雪男様をお忘れになるなんて」


「?」

「あー伊能、着いて早々悪いんだけど、泉の近くにある人里まで連れていくから交渉を頼む」


きょとんとする朧と氷雨を交互に見た伊能は、氷雨がその話をされたくないとすぐ察してすくっと立ち上がった。


「では申し訳ありませんがそこまで拙をお連れ下さい」


「じゃあ主さま、行って来る」


「ん、すぐ戻って来い」


「あの朔兄様…」


隣に座った朔の袖をきゅっと引っ張った朧は、記憶がないながらも明らかに氷雨を意識していて居なくなることを残念に思っていた節があり、朔は勝手に朧車に乗り込んでついて来てしまった猫又を庭に出て呼び寄せた。


「猫又、悪いが雪男と朧を乗せて行ってくれ」


「了解にゃ!」


氷雨と一緒に出掛けられると知った朧は俄かに笑顔になり、そんな自分を不思議に思いながら両ほほをむにむに引っ張っていた。


「何してんだ?落ちないように俺が後ろから支えるけど、ちゃんと踏ん張れよ」


「は、はい」


喉をごろごろ鳴らしている虎柄の猫又の額を撫でた後その背に乗り込むと、次いで乗り込んだ氷雨が朧の腰を手で支えた。


「きゃっ!な、何するんですか!」


「お前が落ちると俺の命が主さまや天満や先代たちに狙われるから我慢しろ」


嫌がる振りをしたものの、全然嫌ではなかった。

逆にすぐ傍で氷雨の気配を感じて、意識して集中できず何度も身体が揺らいで氷雨に怒られた。
< 189 / 281 >

この作品をシェア

pagetop