君と僕のキセキ

「しょっ、少々お待ちください」

 この時点で、すでに私は泣きそうになっていた。

「おせーよ! 早くしろよ!」

 中年は、カウンターを叩いて威圧的な態度を示す。



 百種類を超えるタバコが並んでいる壁を目の前にして、私の頭が真っ白になっていく。

「大変申し訳ございません」

 ただひたすらに謝るしかなかった。背中から男の舌打ちが聞こえる。



 視界の隅で、スッと手が伸びてきて、商品をつかんだ。

「大変お待たせいたしました。こちらでよろしいでしょうか」

 休憩中だったはずの先輩が、カウンターにタバコの箱を置く。



 男は乱暴につかみ取り、早足で店を出て行く。私は思わず、ホッと一息ついた。

「ありがとうございます」

 先輩に頭を下げる。助けに来てくれなければ、たぶん私は泣き出してしまっていたと思う。



「あの人、いつもあんな感じでイライラしてるから気にしないで。僕も最初の方は嫌だったけど、もう慣れたし。あ、そうだ。いいこと教えてあげる。あの人、きっと部下の若い女の人にキモいって陰口を言われまくってて、そのせいで機嫌が悪いんだろうなぁ……とか想像すると少しだけ嫌じゃなくなるから」



「ふふっ」

 結構酷いことをサラっと話す先輩に、思わず笑ってしまう。こぼれそうだった涙は、すでに引っ込んでいた。



「っていっても、僕も入ったばかりのときに先輩から教えてもらったんだけどね」

 どうやら、かなり昔からの常連客らしい。

「今度からそうしてみます」

 嫌なことがあったはずなのに、なぜか嬉しかった。



 このとき私は、時光先輩のことを好きになった。

 もしも助けてくれたのが先輩ではなく他の人だったとしたら、その人を好きになっていたかもしれない。



 幼い頃に散々憧れたような、運命的な恋ではなかったけれど。

 私はたしかに、先輩に恋をした。
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