オフィスの野獣

「藤下さん」


 整理していたファイルが私の手を滑り、床に散らばった。
 不意打ちに腕を引っ張られて、前野君の方へ引き寄せられる。無理やり視線を引きつけられると、目と鼻の先に彼が冷たい眼差しで見下ろしていた。


「藤下さんから見た俺って、そんなに魅力ないかな。でも俺は藤下さんを今のところ諦めるつもりはないよ」

 そんなの、知らない。そんなこと、私にはどうでもいい。
 前野君の魅力はきっとたくさんの女の子わかってもらえること。そんなの私に求めないで。今すぐこの手を放して……ッ!




「はい、そこまで」

 狭い資料室に、二人以外の声がする。
 ひとつしかない扉の前には、西城斎が腕を組んでこちらを見つめていた。会社で見かける穏やかな彼は、今日はやけに物静かだ。


「やめとけ、前野。嫌がってんだろ」

「なんだ、西城か。お前が人のこととやかく言える口なのか」

「まあ……言えるかは怪しいが、俺は嫌がる女の子に無理強いはしないけど」


 せっかく助けてくれるかと思ったのに、はっきりしないのかそこは。
 というか寝ている間に襲っといてどの口が言ってるんだてめえ!!

 まだ資料室の掃除が終わっていないのに、西城斎に引っ張られて二人でそこから出て行くことになった。前野君がどう思ってたかなんて知らないけど、この時だけは彼に少しだけ感謝した。


 それでも、男の人に無理やり掴まれた腕は、小刻み震えている。

 西城斎は、私に言った。誰かに自分を求められたいかって……たとえ人間は弱い生き物でも、私はそれを望むことはないだろう。

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