シュガーレス
第6話 初恋は実らない
 季節は冬。凍えるほどの寒さの屋外は、会話をするのに適していない。どこか飲食店へ入ろうにも今日はあいにくクリスマス。どこも混んでいるしカップルで溢れかえっている。それに私はおでんを購入済みだ。
 仁科さんの提案で彼の自宅へ行くことになった。なんと、彼の自宅は私のよく利用するまさに今おでんを買ったばかりのコンビニの上のマンションだった。
「僕料理しないんで。コンビニが入ってるこのマンションは何かと便利なんです」
 鍵を開けて玄関へと入る。
 男性の自宅へ簡単に足を踏み入れてしまうなんてどうかしている。でも見るからに草食系の雰囲気が漂う仁科さんに対してまったく警戒心が沸かないのは事実。本人も……
「僕、出会って間もない、名前しか知らない女性に手を出すようなことはしないんで。安心してください」
 淡々と言い放つ。
 私も出会って間もない彼の言葉をどの程度信用したらいいのか判断に困るところだが、何かあったら何かあった時。自分の行動の責任は自分が取るのみ。仁科さんの言葉を信じて靴を脱ぎ家の中へと入った。
「福田さんここのコンビニよく利用するんですか?」
「えぇ、通勤の通り道なので」
「だったらここでも何度かすれ違っていたかもしれませんね」
 部屋の明かりが点くと、部屋の壁の半分を支配する本棚に詰め込まれた大量の書籍の量に驚いた。そういえば喫茶店で見かけると彼は大抵本を読んでいる。聞かなくても読書が好きなのは分かった。他は、テーブルの上に空き缶が放置してあったり、洗濯を済ませた洗濯物がたたまずに積んであったり、男の一人暮らしの部屋といった印象だ。
「エアコン入れたんで。少し寒いの我慢してください」
「すみません……ありがとうございます」
 仁科さんは「ちょっと待っててください」と言うとささっとテーブルの上を片付け、洗濯物もごっそり持ち上げ別の部屋へと持って行った。そして布巾を水でしめらせテーブルの上を拭き「お待たせしました、どうぞ」と言われ、テーブルの上にコンビニで買ったおでんを置き座った。
 仁科さんは自分が買った弁当をレンジにかけると「冷めちゃうんで、どうぞ食べてください」と言った。
「今日ってクリスマスなんですね。僕さっき気づきました」
 おでんを一口口にしたところで、弁当を持った仁科さんが向かいに座った。
「ははっ……って私も朝会社に行ってから気づいたんで人のこと笑えないですよね。でもさっき気づいたって……今日ってみんな、特に女性社員は浮かれてませんでした?」
「自分の部署に女性は事務の人が一人いるだけなので……ちなみにお子さんもいる主婦の方です」
「それは分からないかも」
「一緒に過ごす人はいないんですか?」
「今、私も同じ質問しようと思っていました」
 目を合わせて互いに小さく吹き出す。
「いたら、クリスマスだって気付かなかったとか言いませんよ」
「同感です」
 心地よいテンポ。ゆっくりだけど会話は弾む。
「前に喫茶店で一緒にいた男の人は? お似合いだなって思って」
「あの人はただの仕事のパートナーです」
「うらやましいです、あんな格好いい人と仕事が出来て」
「……あの」
「言っておきますけど、僕はノーマルです。こんな見かけだからよく勘違いされるんですけど」
「そ、そうですか。もしかしてって今一瞬……」
「……」
 感情の起伏の少ない彼がはじめて見せた少し傷ついた表情に今度は私が一人で吹き出す。
「ごめんなさい」
「いえ、いいんです」
 度々顔を合わせてはいるけど、こんな風に向かい合ってゆっくりと話をすることははじめてだ。家にまで上がって、一気に打ち解けたような気がして口数が多くなる。
「恋なんてもう、五年くらいしていないです」
「勝ちました。僕はもうかれこれ八年くらい……」
「勝ったことになりますか? どちらかと言うと負け……」
「どっちもどっちですよ」
「はは、たしかに」
 年数は関係ないか。互いに長年恋から遠ざかっている。
「恋心とか。忘れちゃいますよね」
 仁科さんの言葉に「えぇ」と言って同意する。でもすぐに「でも」と付け加えた。
「最近、ふと子供の頃の初恋を思い出したんです」
「へぇ、初恋」
「そしたら、また普通に恋したいなって思いましたよ」
「初恋か。初恋ってやっぱ忘れないものなんですか?」
「いえ、完全に忘れてましたけどね。正直相手の顔も、名前もフルネームでは思い出せないくらいで……でも。ちょっとしたときめきは思い出しました」
「ときめき?」
「よく初恋は実らないって言うじゃないですか。でも私の初恋は実りました」
「ほぉ」
「でも一緒にいたいと言う願いは叶わなくて……転校しちゃったんですよね、彼。ありがちな話です」
「へぇ、一から詳しく聞いてみたいものです」
「嫌ですよ。もう話しません」
 自らベラベラと語っておいて、途中で気恥ずかしさを感じて逃げる。会話をしたらまた少し昔の記憶が蘇った気がする。結構覚えているもんなんだな。
 話を途中放棄した私に仁科さんは「残念」と口にしながらもまったく残念そうな表情は見せず完全に気が目の前の弁当にいっていることに気付く。
「お腹減りましたよね。食べましょう」
 食べたい気持ちを我慢して話をちゃんと聞いてくれる人なんだな。異性だけど異性を感じさせない外見と雰囲気。とても付き合いやすい。
 ご飯を食べながら「毎日寒い日が続きますね」としばらく冬の気候についての話を続け、食事が済めば互いの仕事の話を少し。でも会話のほとんどが深く踏み入った話ではなく、ほとんどが誰とでも出来る世間話。一定の距離を保ちつつ互いにあまり踏み込まない。人づきあいが得意ではないところは似ている。それなのにいきなり部屋に上り込んでいると言う矛盾。面白いな。
 あまり大した会話は交わさなかったけれど、気が付けば日付が変わる寸前。かなりの時間をただ会話をして過ごしていた。大笑いした覚えもなく、楽しかったと言える時間ではなかったけど、とても落ち着く居心地のいい時間だった。

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