【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「っはなして、はなしてってばっ……」

そろそろ口から心臓が飛び出してきそうで、カヤは必死に首を振った。

だと言うのに、カヤが嫌がれば嫌がる程、比例するように翠の手つきが荒っぽさを増していく。

「逃げるな」

そう囁いた翠の息が濡れた皮膚にかかって、熱くて。


今や翠の舌は、恐ろしい事に手首を離れて段々と上昇し始めていた。
前腕を這って、そして肘の内側の窪みで停滞して、そこで遊んで、また昇って来る。

気が付けば、無防備な二の腕が食まれていた。

こそばゆいようなその感覚に身を捩ると、翠が上半身を使ってカヤを抑えつけてきた。
ぐっ、と肩で岩壁に固定されて、身動き出来なくなる。

せめてもの抵抗に空いている手で翠の身体を押すが、力の入らない腕はあっという間に掴まってしまった。

「あ、」

びくっと身体が飛び跳ねた。
肩まであるカヤの衣を押し分けるようにして、翠の舌が入り込んできたのだ。

ぞくぞく、と背筋が甘く鳴いて、笑えるくらいに身体中から力が抜けていく。
頭の芯が強烈に麻痺してしまい、カヤはもう逃げる事を忘れてしまった。



(これは、誰)

さらさらと胸元にかかる黒髪は間違いなく翠なのに。
華を擽る甘い香りも、間違いなく翠なのに。

(こんなの翠じゃない)

砦で抱きしめられた時の優しい腕とは全く違う。
荒々しくて、妖艶で、どこか熱っぽくて。

(私の知ってる翠じゃない……)

清らかに微笑んで、民の敬意を集める翠様でも無い。
屈託無く笑って、軽口叩くような翠でも無い。

美しい獣と化した、ただの男の人だった。



「す、い……」

消え入りそうに呼んだ名前は、自分の声では無いようだった。
カヤの声に呼応するように、翠の舌の動きが激しくなった。

じんじんと熱い舌が、鎖骨の形を確かめるように吸いついてくる。
鼓膜を犯す湿った音と、むせ返るような甘い香りのせいで、くらくらした。

だめ、だ。
駄目だ、これ以上は駄目だ。

翠がそのまま昇ってきてしまったら、どうなるのか――――その罪深い唇が、次に口付ける所は、きっと。


そう本能的に悟った時、カヤの意識は限界を迎えた。



「っ翠様!」

そう呼んだのは敢えてだった。
ビクッと翠の肩が大きく揺れて願い通りに、ぴたりと舌の動きが止まった。


やっと翠が戻ってきた。
一目でそれが分かり、実際に翠の唇はカヤの皮膚を離れて行った。

しかし翠の顔は、やけに無表情で、そして相変わらずカヤを映さない。
しかも手首は掴まれたままだ。


「……あの……翠……?」

ばくばくと未だに心臓が鳴っているのを感じつつ、カヤはおずおずと声を掛けた。
身じろぎ一つしない翠が気にかかったのだ。


伏せられた睫毛の向こう側に見える瞳は、一向に感情を宿さない。

ただただ、真っ黒な宝石が嵌めこまれているだけのように見えた。

「大丈夫……?」

心配になって、カヤは翠の頬に手を伸ばした。
掌で覆ってしまうのは不躾な気がしたから、指先でそっと触れてみるだけに留めた。


すると皮膚が触れ合った瞬間、凍っていた瞼が瞬きをした。


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