【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「……申し訳ありません」

自分がしでかした愚行に対してでは無い。
驚くほど簡単に泣いてしまった情けなさを詫びる言葉だった。

「すぐに止まりますので。もう横になって下さい。お願いですから」

出来るだけはっきりと言い放つ。


カヤは、砦での翠の反応を見て涙が彼を動揺させる事に気が付いてしまっていた。

だから、怒られるのを避けるため、わざと泣いたのではと思われるのが本当に嫌だった。




「……それ」

ぼそりと翠が呟く。

え、と思った時にはカヤの右手首は掴まれていた。
カヤの泣き顔を暴こうとするような力では無く、優しい指の調子だった。

その事が予想外すぎて、抵抗を忘れてしまったカヤの手首を、翠がゆっくりと引き寄せる。

「どうした、これ」

いつの間にか『翠様』では無くなっていた彼は、カヤの手首を見下ろしながら言葉を落とした。

釣られるようにして自分の手首を見ると、そこには薄っすらとした紐状の痣が。
弥依彦に懇切丁寧に縛られた時に出来てしまったものらしかった。

「あ……た、多分、弥依彦に縛られた時の……」

答えると翠の表情が明らかに歪んで、そして何かを言う暇も無かった。



そっ、と温く柔らかな何かが、カヤの手首に押し付けられていた。

勘違いでも、ましてや見間違いでも無い。
翠が、カヤの手首に口付けを落としている。


「っ、」

咄嗟に引こうとした腕を、翠が強い力で引き留めた。

「な、ななな、何してっ……」

これ以上は後ろに下がれないと分かっているのに、カヤは必死に後ずさりしようとしていた。

つ、と移動しながら痣を辿る唇は、あまりにも赤く、そして恐ろしい程に美しい。
怖かった。気を抜けば一呑みされてしまいそうだった。

僅かに離れては、また押し付けられて、悼むようにそこに熱を残留させる。
翠はこちらを一度も見ようとしない。


「やっ……翠、まって、やめて……」

諦め悪く逃げようとしているカヤを、翠は無情にも更に追い詰める。

片手を岩壁に付いてカヤの逃げ道を断つと、口付けだけでは飽き足らず、なんと皮膚を噛んできた。

「ひっ」

ぢく、ぢく、とした断続的な痛みに、頭が沸騰しそうになる。

手首の内側の柔らかいところに、不埒な程に歯を立てられ、獣のように食べられて。
押し付けられる軟い唇と固い歯の感覚がぐちゃぐちゃに混ざり合って、もうわけが分からない。

「ふぎゃっ」

不意にひと際強く噛まれ、間抜けな声が出た。
かと思えば、ざらりとした舌が、噛んだばかりの箇所を慰めるように舐める。


(あ、舌が……)

僅かに開いた翠の唇から、時々ちろりと覗く美しいそれ。
それがまるで生き物のようにカヤの皮膚をねぶるから、いけない事でもしているかのような錯覚に陥る。

足元から這いずり上がるその背徳感に、ぐにゃりと何かが歪んだ。


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