【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
花が溶けていった闇を見つめながら、カヤはぽつりと口を開いた。

「……行っちゃった」

「うん」

「……もう少しここに居ても良い?」

「うん」

「……っありがとう、翠……」

「……うん」

堪えきれず俯いたカヤの頭を、また翠が撫でた。
何よりも優しい指で、二度、いつものように。







「こう見ると、やっぱり完全に男の人だよね」

二人は岸に並んで腰かけ、取り止めの無い会話をしていた。

「そりゃ男ですから」

片膝を立てて座っていた翠は、苦笑いしながらもう片方の足で水面を蹴った。

だぽんっ、と水が跳ねて、滑らかだった湖面がうるさくなる。

コウの姿の時、翠は普段よりも少しだけお行儀が悪くて、カヤはそれを見るのが好きだった。




「いつもこうやって抜け出してるんだね」

「人聞きの悪い。たまにだよ」

そう言って翠は肩をすくめたが、その『たまに』には相当数が含まれているのだろう、と思った。

「私を助けてくれた日も、そうやって抜け出してたの?」

くすくす笑いながら問いかけると、翠もまた笑いながら頷いた。

「ああ。あの日もタケルが居なかったんだよ。で、この場所に向かってる途中にカヤに会った」

翠は、懐かしそうに眼尻を細める。

「ほんと吃驚したよ。見知らぬ女が男共に追いかけられてるし、しかも顔見てみれば村で俺に啖呵切ってきた奴だし、怖がりのくせに男共にハッタリかますし」

「そ、それ、もう忘れてよ……!」

恥ずかしさのあまり両手で顔を覆うと、翠は愉快そうに笑った。

またもやからかわれ、カヤがむくれていると、ようやく笑い終わった翠は大きく伸びをしながら後ろに倒れ込んだ。

「はー……こんなにゆっくりしたの久しぶりだな」

両手を投げ出しながら、ぼやくように呟く。

「仕事しなくても大丈夫?」

申し訳なさ半分、仕返し半分で聞くと、翠は両耳を塞ぎながら、ごろんと横を向いた。

「言うな。きっと明日の俺が頑張ってくれる」

カヤに背を向け、真面目くさって言う。
そのわざとらしく駄々っ子めいた態度に、カヤは苦笑いした。


「……頑張りすぎないでね」

その背中に向かって小さく声を掛ける。
耳を塞いでいたはずなのに、翠は顔をこちらに向けた。

「おう、ありがとな」

優しく笑ったその表情に、少しだけ苦しくなった。
翠は、いつだって本気の弱音を零さない。

「……しんどくないの?」

思わずそう聞いていた。
翠は、きょとんとしたような顔をする。

「何がだ?」

「その……神官は女じゃなきゃ駄目だとか、純潔じゃなきゃ駄目だとか、色々と厳しい約束事があるんでしょ……?翠の意志は一切丸無視だから……」

余計なお世話な事を言っている自覚はあった。
だから、カヤは俯きながらぼそぼそと言った。

翠は、ゆっくりと身体を起こした。
視界の端で、翠がこちらを見ているのが分かる。

「タケルに聞いたのか?」

柔らかな声。
翠の表情は見ないままに、おずおずと頷く。

「うん……少しだけ」

「そっか」と言って、翠は前を向いた。
ほんの少しだけ間を置いて、それから翠は静かに口を開く。

「産まれた時からこれだし、特に何も思わないよ。俺は、民が幸福ならそれで良い」

思わず顔を上げて、翠を見つめた。

まただ。
いつか感じた奇妙な哀れみが、わっと溢れ出した。
< 188 / 637 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop