【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
とは思いつつも、温かかったあの体温を欲し、カヤは寝台を降りた。

絶対に居ないとは分かっているが、もしかしたらまだ部屋の外に居るかもしれない。

「律……?居ないの……?」

そっと呟きながら、部屋から恐る恐る顔を出したカヤは「ひっ」と悲鳴を上げかけた。

入口を出てすぐ左側の足元に、大きな黒い影があったのだ。

しかし、なんて事は無い。

目を凝らせば、それは壁に背を預けて眠りこけているミナトだった。


(し、心臓止まるかと思った……)

ドキドキしている心臓を押さえながらも、カヤはさっさと部屋の中に戻ろうとした。

律が居ないのなら長居は無用だ。


しかし、先ほどの律の言葉を思い出し、ふと思いとどまる。

カヤは少し悩んだ後、廊下に出た。

ミナトの前にしゃがみ込み、熟睡している顔を覗き込む。

冷え込む廊下な上に、非情に寝にくい体勢で眠っているせいか、安らかな寝顔とは言い難い。

きっと毎晩ここで眠っているのだろう。


(……なんで此処までして見張るかな)

もうカヤの力では逃げ出せない事は分かってしまったのだ。

こんな所で眠っても全くの無駄だと言うのに。


分からない。
カヤにはミナトが何を考え、何を思っているのか、全く分からなかった。



"―――――後ろ盾も無いのに中委の立場にまで上り詰めるなんて事、生半可な気持ちでは出来ないよ"

険しい寝顔を見ている内に、律の言葉が思い出された。


「どうして……?」

どうして貴方はあの国へ行ったの?
優しかったミズノエは、もう居ないの?
何が貴方をそんな風に変えてしまったの?


(ああ、でも)

こうして無防備に眠っていると、少しだけあの頃の面影がある。


「……ミズノエ………」

意識せず、その頬に触れてしまった。


「……ん」

ぴくり、と閉じていた瞼が動く。

しまった。起きてしまった。

慌てて逃げようとしたが、次の瞬間カヤの足は止まった。

「どした、琥珀……」

寝ぼけたような口調でこちらを見つめるミナトの眼が、心底優しげだったせいで。

その場に縫い付けられているカヤを見て、ミナトがふと哀しそうな眼をする。

「また泣いてんのか……」

ゆるりと伸びてきた指が、いつの間にやら濡れていた眼尻を拭った。

「……頼むから、泣くな」

ざらり、とした皮膚の感覚。

髪飾を作った時に出来た傷跡が、指先に未だ残っているせいだ。



―――――突然気が付いた。

この指の感覚をカヤは確かに知っていた。

砦に来て以来、夢の中で何度もカヤの涙を拭ってくれた指だ。


「っ、」

カヤは勢いよく立ち上がって、バタバタと部屋に戻った。

寝台に潜り込んで、頭からしっかりと夜具を被りながら、己をぎゅっと抱き締める。


(……分かった)

分かってしまったのだ。

ミナトが毎日のように部屋の外で一夜を明かしていたのは、カヤを見張るためじゃない。



――――――毎晩のように魘されるカヤの、涙を拭うためだったのだ。


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