【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「頼む、カヤ」
囁やく声が、縋るような眼が、カヤの心に甘く纏わりつく。
狡い声だ、と思った。
大事なことを諭す時は、迷いの無い声のくせに。
その脆さは、わざと見せつけているのだろうか。
(嗚呼、もう……)
ゆらゆら揺れて掴み所の無い、水のような人を掬いあげたくなってしまう。
そんなことを思う事すら、酷く傲慢だ。
でも、輪郭の無いものが形付けられる快感を、カヤはもう知ってしまっていた。
「…………私、夢があって」
たっぷり熟考した後、カヤは静かに口を開いた。
「ん?どんな?」
唐突に話し出したカヤに、コウは優しい調子で相槌を打つ。
「遥か向こうの大陸に、私と同じ髪色をした人達が居るらしくって」
遠い昔、かか様に教えてもらった事。
温かな膝の上に座り、髪を撫でられながら、まるで夢物語のように聞かせてもらった。
「だからいつか、そこに行きたいと思ってるの」
その場所でなら、きっと"特別"でない自分で呼吸を出来る。
幼い自分は、夢に胸を膨らませていた。
カヤは、出来るだけ背筋を伸ばして、コウと眼を合わせた。
瞬きもせず、しっかりとした口調で言った。
「その場所に行くまでの準備期間だけで良ければ、するよ」
コウの眼が、一瞬驚いたように見開かれた。
しかし、すぐに嬉しそうに緩まった。
(あーあ、言ってしまった)
まあ、良いか。
腹を括ろうでは無いか。
コウは万遍の笑みを浮かべながら、カヤに手を差し出した。
「ありがとう、カヤ」
その手を、しっかりと握り返す。
かつては今生の別れのようだと感じたその握手。
それが、今は始まりの合図のように思えた。
「よろしく、コウ」
そう言葉を返すと、コウが小さく笑った。
「もう俺の世話役なんだから『コウ』って言うのは止めてくれよ。偽の名だしな」
「あ、そっか。じゃあ……よろしくお願いします、翠様……?」
今更そんな口調も可笑しい気もするが。
首を傾げながら言うと、コウが更に笑い出した。
「普通に『翠』って呼べよ。敬語も止めてくれ」
「……良いの?」
「というか、2人きりの時は是非そうしてくれ。カヤにまで畏まられたら肩が凝る」
その言葉に、カヤも思わず笑った。
「分かったよ、翠」
握ったままの手に力を込める。
そして二人は、やがてゆっくりと手を放した。
手に残る感触を優しく握りしめながら、ふとカヤはコウに問いかけた。
「ねえ。コウにも夢ってあるの?」
一国の頂点に立つような人間は、どのような夢を持つのだろうか。
そんな単純な興味を抱いたカヤに、コウは力強く言い切った。
「民の幸福だ」
――――そうやって、迷いの無い眼差しで。
霞んだ夢に続く道は、険しく。
歩み方さえ分からなかったその地面に、カヤは間違いなく足を乗せた。
自信があるわけでも無いし、迷う気持ちは際限なく溢れてくる。
きっと、何度だって躓き転ぶだろう。
それでも、どれだけ拙くたって、どれだけ無様だって、紡いで行く。
ただただ届けたくて、届けられたくて。
それがカヤの意志。
道を開くための、鈍く光を放つ、たった一つの意志。
囁やく声が、縋るような眼が、カヤの心に甘く纏わりつく。
狡い声だ、と思った。
大事なことを諭す時は、迷いの無い声のくせに。
その脆さは、わざと見せつけているのだろうか。
(嗚呼、もう……)
ゆらゆら揺れて掴み所の無い、水のような人を掬いあげたくなってしまう。
そんなことを思う事すら、酷く傲慢だ。
でも、輪郭の無いものが形付けられる快感を、カヤはもう知ってしまっていた。
「…………私、夢があって」
たっぷり熟考した後、カヤは静かに口を開いた。
「ん?どんな?」
唐突に話し出したカヤに、コウは優しい調子で相槌を打つ。
「遥か向こうの大陸に、私と同じ髪色をした人達が居るらしくって」
遠い昔、かか様に教えてもらった事。
温かな膝の上に座り、髪を撫でられながら、まるで夢物語のように聞かせてもらった。
「だからいつか、そこに行きたいと思ってるの」
その場所でなら、きっと"特別"でない自分で呼吸を出来る。
幼い自分は、夢に胸を膨らませていた。
カヤは、出来るだけ背筋を伸ばして、コウと眼を合わせた。
瞬きもせず、しっかりとした口調で言った。
「その場所に行くまでの準備期間だけで良ければ、するよ」
コウの眼が、一瞬驚いたように見開かれた。
しかし、すぐに嬉しそうに緩まった。
(あーあ、言ってしまった)
まあ、良いか。
腹を括ろうでは無いか。
コウは万遍の笑みを浮かべながら、カヤに手を差し出した。
「ありがとう、カヤ」
その手を、しっかりと握り返す。
かつては今生の別れのようだと感じたその握手。
それが、今は始まりの合図のように思えた。
「よろしく、コウ」
そう言葉を返すと、コウが小さく笑った。
「もう俺の世話役なんだから『コウ』って言うのは止めてくれよ。偽の名だしな」
「あ、そっか。じゃあ……よろしくお願いします、翠様……?」
今更そんな口調も可笑しい気もするが。
首を傾げながら言うと、コウが更に笑い出した。
「普通に『翠』って呼べよ。敬語も止めてくれ」
「……良いの?」
「というか、2人きりの時は是非そうしてくれ。カヤにまで畏まられたら肩が凝る」
その言葉に、カヤも思わず笑った。
「分かったよ、翠」
握ったままの手に力を込める。
そして二人は、やがてゆっくりと手を放した。
手に残る感触を優しく握りしめながら、ふとカヤはコウに問いかけた。
「ねえ。コウにも夢ってあるの?」
一国の頂点に立つような人間は、どのような夢を持つのだろうか。
そんな単純な興味を抱いたカヤに、コウは力強く言い切った。
「民の幸福だ」
――――そうやって、迷いの無い眼差しで。
霞んだ夢に続く道は、険しく。
歩み方さえ分からなかったその地面に、カヤは間違いなく足を乗せた。
自信があるわけでも無いし、迷う気持ちは際限なく溢れてくる。
きっと、何度だって躓き転ぶだろう。
それでも、どれだけ拙くたって、どれだけ無様だって、紡いで行く。
ただただ届けたくて、届けられたくて。
それがカヤの意志。
道を開くための、鈍く光を放つ、たった一つの意志。