【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
きっと、知らない人が大半だろうと思った。

翠がどのような表情をしようと、神官様にひれ伏して頭を上げない人達は、それを眼にする事は出来ない。

彼の顔が嬉しさに綻ぼうと、苦しさに歪もうと、一生だ。
翠は驚くほど独りなのだ。


(嗚呼、せめて立ちつくすその場所が同じなら)

翠をそこから引きずり落としたいのか、せめて誰かがその隣に居て欲しいのか、願望は紙一重だった。



「それにしても、せっかく暇をあげたのに普段以上に疲れてちゃ意味ないな」

呆れたように笑う翠に、慌ててカヤも苦笑い交じりに言った。

「確かにね。でも、なんだかんだ楽しかったから良いんだ」

本心だった。
身体の疲労感は大きいが、心は不思議と満たされていた。

「……カヤは凄いな」

ぽつり。
耳に届いたのはそんな翠の声だった。

「へ?」

「あっという間に居場所を広げていくんだな」

翠の表情は嫌味の無い優しさと、物悲しさだけで出来ていた。


(そんな表情を、貴方がするのか)

こんなにも敬意という確固たる物の上を歩む貴方が、そんな出来損ないの笑顔で。


「……居場所なんて言うには、おこがましいよ」

そう言った自分の笑顔こそ、きっと酷いものだったのだろう。
翠が少し眼を見開いたのが分かったから。

カヤの足元など水上のようなものなのだ。
いつ膜が破れて水底に引きずり込まれてしまうか分からない、そんな不明瞭な。


「……そんなこと」

無いだろう。

心配そうな顔をした翠は、きっとそう言おうとしたのだろうが、カヤはそれを遮るように口を開いた。

「翠はさ、あまり屋敷の人とは話さないの?」

務めて普通の口調を装う。
それを察したのか、翠は話を合わせてくれた。

「そりゃあ俺、怖がられてるしな。嫌だろ?怖がってる奴に話しかけられたら」

苦笑いしながらそう言われ、一瞬耳を疑った。

「いやいや、そりゃあ気安く喋りかけては来ないだろうけど……」

あれだけ尊敬されておいて何を言ってるんだ?
一種の嫌味だろうか?


(……そう言えば『コウ』の時も妙な事を言ってたな)。

確かあの時は、カヤが『なぜ皆あんなに翠様とやらを慕うんだと思う?』と質問したら『単純に怖がってるんじゃないか?』と頓珍漢な事を返してきた。

どうも盛大な勘違いをしているらしい翠は、笑いながら言葉を続ける。

「俺に好き好んで喋りかけてくるのはタケルくらいだな。まあ、あいつは屋敷の者10人分くらいは話すから、程良いかもな」

「いや、あのね……みんな翠の事、凄く慕ってるから。怖がってなんか無いから」

まさか本人が分かっていないとは、なんと皮肉な。
カヤが熱を込めてそう説得するが、翠は冗談めいて笑うだけ。

「はは、ありがとな。主のこと慰めてくれるなんて、良い世話役を持ったわ」

駄目だ。これっぽっちも通じていない。

思わず項垂れるカヤの肩を、翠はポンポンと叩いた。

「さ、今日はそろそろ帰れ。明日は早いぞ」

確かにカヤも翠も疲れている。
明日はいよいよ祭事本番だし、早めに休むに越したことは無い。

「……うん」

熱弁が通じなかった事に肩を落としながら、立ち上がる。
カヤは入口の分厚い布を捲って廊下に出つつ、翠を振り向いて声を掛けた。

「おやすみ、翠」

「ああ。おやすみ」

闇を溶かしたような部屋の中、翠の顔はあまり見えない。


今、本当はどんな表情をしているのか。
無性に暴きたくなりながらも、カヤはゆっくりとその布を下ろした。



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