【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
身震いするカヤに、翠が気遣うように言った。

「走り回って疲れたろ。お疲れさん」

「うん、ありがとう。でも、久しぶりに思いっきり身体動かせたから楽しかった」

自分でも気分が良いのが良く分かった。

だって、今日は良い事があったのだ。
そして明日も良い事が待っている。

そのため、カヤはいつにも無く饒舌で、普段ならばわざわざ言わないような事も翠に言いたくなった。

「あ、それにね、物凄い数の器も磨いたんだよ。ほら見て、指のふやけ治らなくてさ」

未だふやけて皴が寄っている指先を翠の目の前に差し出すと、彼は「本当だな」とカヤの指をまじまじ見つめた。

「確かに器がなんとかって言ってたもんな。それだけの数、大変だっただろ」

「うん、でも終わったらクシニナさんが吃驚するくらい褒めてくれて……あ、クシニナさんって台所の人でね……」

「台所を仕切ってくれてる人だろ。少しおっかないよな、あの人。俺でもたまに怖い」

苦笑いする翠に、思わずカヤは言葉を止めた。

また、当然のように屋敷の人の事を話す翠に驚いたのだ。
不思議そうな顔で見つめるカヤに気が付いたのか、翠は小さく笑いながら言った。

「屋敷に仕える者は全員分かるから、気にせず話せば良いぞ」

「全員……?分かるの?顔も、名前も?」

衝撃を受けながら、半信半疑で尋ねる。

「ああ。屋敷に仕える前に一度は俺と顔を合わせる事になってるからな。古参の人間も、産まれた時からこの屋敷に住んでるし、皆分かるよ」

さらりと言ってのける翠を、カヤはまじまじと見つめた。
当たり前のような顔しているが、カヤが見る限り、屋敷の人間は尋常じゃない数居るはずだ。

「このお屋敷って、凄い数の人が働いてるんだよね……?」

「そうだな」

「覚えるのも覚えてるのも、大変じゃないの」

半信半疑で問いかけると、翠は柔和に微笑みながらカヤを見つめた。

「まあ、せめてそれくらいはな。民が俺の事知ってるのに、俺が知らないのも不公平な話だろ」

カヤは息を呑んだ。

突然、目の前の人物が自分とは全く違う場所に立っているのだと思い知らされた。

産まれながらの立場の問題ではなく、己の意思で立とうとしている場所がだ。



「ま、さすがに村の人間の事は全員分かんねえけどな。出来るだけ名と顔は覚えるようにしてるけど」

そう言って苦笑いする翠を尊敬したのか、それとも――――憐れんだのか。

屋敷の人たちは、知っているのだろうか。
翠が自分たちの名前を知っていて、そして畏敬の念が一方通行にならないよう、水面下で努力している事を。


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